左利き肝臓専門医ブログ

2018.04.02更新

高橋の由来の続きですが

天皇の料理番 説 もあります

日本書紀に「神に酒を捧げる者」として登場する
磐鹿六雁命(いわかろくかりのみこと)さんは 古代豪族の高橋氏のルーツで
奈良時代から 代々 天皇家の料理番をされていました

おそらくこれが 上述した天皇から賜った位である姓 のルーツなのでしょう


天皇に食べていただく 鶴や鯉などを料理していたそうで
包丁式と呼ばれる 天皇のために食材を清める儀式は
江戸時代の終わりまで 宮中で 高橋家が取り仕切っていたそうです

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昔は 鯛でなく 鯉が最高級魚だったのですね
髭があるので龍になると言われ最高級の魚だった という理由が面白い!(笑)

それに 鶴を食べていたのですね!
美味しかったのかな?


一方 神職 説 もあり

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歴史が古い名字で 神主・神職に就いている人が多く
有名な社家は越後弥彦大宮司家の高橋氏で

神職に就いた高橋氏は 北関東や東北に多いそうです

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神様の一番の家来 末裔が 高橋 と言われているとか



古来の文字を研究されている専門家によると

高橋 というのは
シンプル過ぎない凝ったデザインで
かくかくした印象もあるけれど きれいで崇高な感じ

口 が3個も出てくるのが特徴ですが
古来 口 は神への願いを込めた箱を象徴していて

3000年前の漢字のルーツ 甲骨文字では

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高 は 城門の前に 神への願いを込める箱が置かれた模様
橋 は 城門で 人々が踊り お祓いを捧げている模様

を 表していたそうで

いわば スーパーパワースポット名字 といえるとのこと

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ホント?(笑)


ということで

天皇や神さまとのつながりが示唆されている高橋という苗字を
誇りに思っている人が多く

江戸時代は 転居などで苗字を変えることが多かったそうですが
高橋性を変える人はいなかったとのこと


また 庶民の憧れでもあったため
明治時代に平民も苗字をつけるようになったとき
高橋を名乗った人が多かったそうで

そんな理由で 日本全国にこれだけ多くの高橋さんが増えていったようです


自分の苗字のルーツなんて 考えたこともありませんでしたが
こんな風に持ち上げられると なんとなく悪い気にしません(笑)

由緒正しい高橋の名を汚さぬように 日々 精進していきたいです?



ちなみに 苗字が高橋に変わった糖尿病専門医さんが
高橋 について一番感じられおられることは

画数が多くて 書くのが面倒くさい! だそうです(笑)

確かに 画数は多いね(苦笑)

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さて 十把一絡げの苗字にも 利点はあります

それは あまりに多い苗字なので
ある程度親しくなると まわりから姓で呼ばれることが少ないこと

書き手は 小学校時代から現在に至るまで
学校や職場で 高橋 と呼ばれることはほとんどなく
ずっとファーストネームで呼ばれています

ファーストネームで呼んでもらうって なんとなく良いのですよ

とても個人的な 高橋の恩恵です(笑)



2018.03.30更新

高橋という苗字は とても多いです

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糖尿病専門医さんは 書き手と結婚した当初
十把一絡げの名前になってしまった 
と嘆いておられました(苦笑)


で 先日 NHKの 人名探究バラエテイー 日本人のおなまえっ!
という番組で 高橋 のルーツ探しをやっていて

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正直言って 人さまの苗字には興味がありませんが(苦笑)
自分の苗字には興味があるので ついつい見てしまいました(笑)


で 高橋さん

なんと全国第3位の多さで 145万人もおられるそうです

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ちなみに 

1位は佐藤さんで200万人
2位は鈴木さんで175万人
4位は田中さんで135万人 
5位は渡辺さんで115万人

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学生時代に 日本人の名前 的な本を読んだときは
5位か6位で 田中さんや渡辺さんの順位が上だった記憶がありますが
あの頃より増えたのかな?



さて 苗字 と  と  は 厳密には異なっていて

*苗字 は基本的には好きなものを自由につけるもので
 主に生地に関係したもの

*氏は 血縁関係にある一族を示すもの

*姓は 天皇から賜った地位を示すもの

だそうで


高橋に関しては

*苗字をルーツにするもの

*天皇から賜った位である姓をルーツにするもの

の二つが存在し


佐藤さんも 鈴木さんも
好きなものを勝手につけられるという苗字を起源にしているのと
若干異なるそうです


また
高橋は 全国に分布が広まっている が特徴で

佐藤さんや鈴木さんが東日本に偏っているのとも対照的とのこと

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さて そのルーツは諸説あって

読んで字のごとく 高い橋 がルーツ のひとつだそうです

平安時代に起源が遡れる奈良市の髙橋神社
高橋のルーツと言われていますが

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大安寺 薬師寺という 平城京の2大神社の中間に位置する場所にあり
高貴な人々の往来が多かったところですが

ここに 最先端の技術を使って作られた
特別なデザイン 装飾が施された 橋桁の高い橋があったそうです

当時 橋桁が高いのは凄い技術で ランドマークだったとのこと

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そもそも 天の神は 
祭礼の日には 天から地に続く高い梯子を使って地上に降り立って
人々のもてなしをうけたそうで

この「高い梯子」が「高梯子」となり 
「たかはし」になり「高橋」の漢字をあてた
との説もあります


また 旧漢字の 髙 (書き手も戸籍上は髙橋です)は
はしご高と呼ばれますが これは天まで通じる柱を意味しています

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そのような橋に関わる家系で 権力を持つ 地位の高い家柄だったとか


ふーん 高橋

思ってもみませんでしたが
意外にやんごとないルーツがありそうで びっくりです(笑)


続く

 

2018.03.26更新

お飲み物とか お持ちさせていただいて良かったでしょうか?

コンビニや飲食店で 若い店員さんが話す
こんな言葉遣いを聞いて ビックリすることにも慣れてきましたが(苦笑)

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あ 話しているのは 最近増えた外国人の店員さんでなく
ネイティブの日本人の若者ですよ

実は 最近流行りのこんな日本語は
奈良時代前半に使われていた「花見む」「人見む」といった日本語と
アナロジーがあるそうです


曲がり角の日本語 という岩波新書を読みました

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著者の水谷静雄さんは
長きにわたり 岩波の国語辞典を編集されてきた方です


さて どこにアナロジーがあると思われますか?

それは 主語であることを示す格助詞の「を」が省略されていること

ブログ とか、、、 といった具合に使われる
言葉のあとにつける「とか」は 副助詞と呼ばれますが

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最近の日本語では
副助詞がやたらと濫用されているのが 大きな特徴だそうです


もともと日本語には 副助詞が使われる際は 格助詞を省略する傾向があり

しかも

主語であることを示す格助詞の「が」や
目的語であることを示す格助詞の「を」は
それぞれ 平安朝 奈良朝になって 初めて日本語に登場してきたそうです

つまり 昔使われていた日本語では
格助詞で示される主語や目的語は 省略されることが多かった

だから 文頭に記したような 主語がない
花見む人見むといった言葉遣いが 奈良時代前期にされていたとのこと

そして 文脈のなかで 敢えて主語や目的語を明示しない傾向は
むしろ日本語の特徴となって その後も引き継がれます



ということで 少しフォーカスがずれて恐縮ですが
やたらと「とか」といった副助詞が乱用される現代の日本語は
奈良時代前期に先祖返りしている?

わけでは決してなくて


格を明確に規定する格助詞を抜いて
「とか」や「など」といった副助詞を濫用する

そんな日本語が跋扈している背景には


自分の言葉をなるべく曖昧にしたい 責任をとりたくない
という意識が強く存在している 

と著者は主張されます


明確に提示すると まわりから突っ込まれるのが怖いので
わざと副助詞を乱用して ぼかすような言い方をする


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そのような意識は 敬語の使い方にも強く影響していて

文頭に記したような表現が
長たらしくて変に持って回った言い方をすることが敬語になる 
と勘違いしたうえ

さらに
自分が言ったことに責任が問われることがないようにするために使われる

だから余計に 日本語の敬語は滅茶苦茶になってしまった
と著者は嘆かれます



そもそも平安 奈良の頃に
主語や目的語を明示しない格助詞抜きで言葉が成立していたのは

当時は敬語が充分に機能していたので
述語に施されている敬語の表現を見聞きさえすれば
たとえ明示されていなくても おのずと主語や目的語が推察され得た

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そこが 他の言語とは異なる日本語の大きな特徴で

そうした日本語がバックボーンにあるので
日本文化は 多くを語らなくともお互いに相手の意図を察して通じてしまう
語り手よりも聞き手の能力が問われる ハイコンテクスト文化を形成してきた

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これって ある意味で格好良い 今風に言うとクール! 

と書き手は思うのですが

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ところが 責任回避主義にのっとられた

やたら丁寧だが中身のない敬語

責任 言葉尻をとられないようにするための
格助詞抜きで副助詞が乱用される表現

が跋扈する


何でもずらして おぼめかして言う

問い詰められたときに 自分に責任がかぶらないような言い方をする

責任をとりたくないから 断定する言い方を極力避ける

そして 過剰にへりくだる

今の日本語は まさにそんな状態だというのです
そんな日本語では なにも伝えることができなくなってしまう

著者の悩みは深いです


なるほどねえ

断定を避け 責任回避に尽くす

そんな表現が巷に溢れているのは
それだけ今の世の中が 窮屈で生きづらい証しかもしれません

自分でも 知らぬ間にそうした日本語を使っていないか
気をつけなければいけないと思いました

まあ はっきり言わない ということは
ある意味では 刺々しくなくて良いことかもしれませんが
確かにまどろっこしい感じもします

あ また ~~な感じ なんて ぼやかした表現をしている!(苦笑)

 

 

 

2018.03.12更新

京都の染師 吉岡さんの
日本古来の色を 古式ゆかしい植物染めで再現する試みの続きです


は 日本を代表する色

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海外ではJapan blueとも呼ばれ
明治時代に日本に来た外人の眼には 日本は青い世界に見えたほど

かつての日本は 暖簾 着物 のぼりなど 多くのものが青色で染められ
おとぎの国のような雰囲気であふれていたそうです

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但し この藍こそが 染めるのがいちばん難しい色だそうで

蓼藍(たであい)という植物の葉から

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まず 蒅(すくも)を作ります

夏に葉を収穫し 2か月かけて乾燥させ
10月に臺のなかに入れて 水をかけて 枯草菌を繁殖させます
そして2か月に1回ほど切り返す

こうして半年かけて発酵させ 蒅(すくも)ができます

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蒅(すくも)作りは 今も昔も徳島で行われていて
藍師と呼ばれるプロの方々が作業に携わっておられます

化学染料の出現により衰退しましたが 今でも数軒が残っているとのこと


さて蒅(すくも)は 染め師に渡されますが
この段階で まだ枯草菌は生きています

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染め師は 染料からブクブクと泡立つ具合を見て
染める時間の長さを決めます

染める時間の長さで 色が微妙に異なるので まさに一発勝負です

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染めてからすぐの布は 緑色に見えますが
水洗いのあと 空気に触れて酸化すると 青くなります


こうして 染める時間を変えて
藍から さまざまな青を染め分けます

濃い青 紺色 薄い青 水色


薄い色の染め方の方が 時間調節が微妙で難しいそうです


濃いから薄い順に 青色の名は異なります

紺色 縹(はなだ)色 浅葱(あさぎ)色 水色 甕覗(かめのぞき)

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青系色だけで 20以上の名称があるそうですが
そのグラデーションを見ると ため息が出るほど美しい世界です

書き手は 青色フェチですから
和の色の青のグラデーションは どれだけ長い時間見ていても飽きません

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黄色は さまざまな色を作る 魔法の色です

刈安という植物を そのまま煎じると 黄色の染料になり
比較的簡単に作れます

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黄色そのものも充分に美しいのですが
中間色を作り出すのに使われる 貴重な色なのです

例えば 藍で染めた布を黄色で染めると
青竹色と呼ばれる緑色になります

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緑色の自然の染料は世の中になく
全て藍と黄色の掛け合わせから造られるそうで
藍の濃さと 黄色の加え方で 緑の深さが決まるとのこと

緑色もグラデーションがあり
濃いから薄い順に 青緑 常盤色 若草色 苗色 と呼ばれます

このグラデーションも 青に負けず劣らず 美しい

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青だけでなく 他の色も 黄色と掛け合わせると
さまざまな中間色が出来ます


このようにして
300~400種類とも言われる 世界に類を見ない多さ 豊かさの和の色が
出来上がっていくのですね


吉岡さんが こうして長年にわたり研鑽されて
植物染めで染め上げられた 多種多様な和の色は

ロンドンのヴィクトリア・アルバート博物館で
植物染めシルクとして 永久保存されることになったそうです

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このヴィクトリア・アルバート博物館

若き日の吉岡さんが 毎年2週間ほど通い詰めて
陳列されてある世界の万物を目のあたりにして
本物を追求しなければいかないと インスパイアされた場所だそうで

そうした 吉岡さんにとって 宝物の宝庫のような場所に
自分が植物染めで染めた和の色の布が納められるなんて
なんだか幸せですよね

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でも 平安時代の伝統的な和の色を
長い時間をかけて 愚直にひたすら追い求めた
研鑽と努力の日々があったからこその 幸せなのでしょう

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頭が下がりますし 羨ましいです、、、



2018.03.09更新

平安時代に使われていた鮮やかな色を 復活させたい

そんな思いから
古代から使われている植物染めの復活を推進している
京都の染織工房の染め師さんの ドキュメンタリー番組を見ました


日本の色には 独特の美しい呼び名があって
その数は 300~400種類あまり

青系色だけでも 藍 紺 群青 露草など20以上の名称があり
世界に類を見ない多さ 豊かさを誇っている

しかも 美しく 自然になぞらえた つつましさ 確かさがある

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そんなことは 以前 本を読んで興味を持っていましたが

いかんせん 日常の生活では
和の色なんて何の馴染みもありませんから
興味はあるけれど リアルさはない 

といった状態でした


だから

「失われた色を求めて ~植物染め・伝統100色を今の世に」

というタイトルの この番組に 興味を持った次第です

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主人公の 京都の染司の染織史家・5代目・吉岡幸雄さんは

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植物染めの美しさを追求されています

染料の原料のほとんどが植物で 本当に美しい色が出るそうです


かつては 世界中で天然の植物染めが行われていましたが
産業革命で化学染料が発明されて以来
その簡便さ 安価さに押され すたれてきたとのこと

日本でも 江戸時代までは植物染めでしたが
明治以降は化学染料を用いた染色が主流となり 
植物染めは 忘れられてしまいました


しかし 吉岡さんは

正倉院に残されていた 平安時代の衣装の切れ端を見て
1000年以上のときを経ても 全く輝きを失っていない色の美しさに
驚かれました

化学染料を用いた染物では こんなことはあり得ない

植物染めの偉大さを実感され 回帰していかれたそうです


化学染料全盛の世で失われてしまった 日本色を再現するために
古来の文献にあたり 
かつての日本の色の染料 染め方を研究する

日本各地の農家とコラボして 染色の材料となる植物の栽培を行う

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そうして得られた貴重な植物染料を用いて 全て手作業で染める

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確かに 植物染めの色は 美しくて そして存在感があります


昔造られた甲冑に織り込まれた糸の赤は 今でも全く色褪せておらず
見る者を圧倒するような 凛々しさ 気高さを感じます

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普段見慣れている色とは異なるのが 一見してわかります

素人目にも 植物染めの素晴らしさが解るような気がしました



平安時代は 日本の歴史上 最も色が豊かな時代だったそうです

源氏物語では さまざまな色に溢れた描写が繰り返しでてくるそうで
その色の名前も 上述したように 自然豊かで美しい

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日本人の愛した色は
美しい景観を見つめて それを自らの衣装や 絵画 工芸などに表し
物語や歌のなかに託してきたもの

吉岡さんは 日本の色についてそう語られ
生涯かけてその復活を目指したいと言われます


番組ではナレーターが 源氏物語のなかで
源氏が さまざまな女性に贈る衣料の色を指示する場面を朗読します

紅梅 葡萄(えび)色 桜色 浅はなだ色 
濃い紅 赤 山吹 青鈍(あおにび)
梔子(くちなし)色 聴(ゆるし)色

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そして それらの色をどのように重ね合わせていけば美しいかも思案します

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ここで言い表された和の色

無粋な書き手は 哀しいかな ほとんどイメージすることができませんが

色の重ね合わせで 美しさがさらに際立つことは想像できますし
とても興味を持ちました

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実際に どのような色が
どんな植物を原料にした染料で どのように染められるかは
次回詳しく説明することにしますが


うーん 和の色か、、、

ちょつと インスパイアされてしまいました



2018.03.02更新

清少納言 の 枕草子 

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紫式部 の 源氏物語

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いずれも王朝文学に燦然と輝く名著ですが
比較するのが困難なほど その内容は全く異なっています


枕草子は 
をかし をモチーフにした洒脱なエッセイ

人やものごとを 客観的 理性的に見て 料理していきます

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源氏物語は 
あはれ をモチーフにした 壮大な恋物語

人の生き様を 主観的 情緒的にとらえて 物語を紡ぎます

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こうした際立つ作風は
それぞれの著者の性格によるところが大きいとされています



清少納言の性格は

すかっとしていて 鼻っぱしが強い
勢い余って ついつい余計な一言まで加えて 人を論破してしまう

一流でなければダメで 二流三流は許せない

ということで 

才はあるが生意気で嫌な奴 とも言えます(笑)

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その反面 打たれ弱いところもあって

枕草子には
道隆が死亡し道長が権威を握ったあとの話題がむしろ多いのですが

しかし悲壮感はなく
道長 彰子に対する批判もなく 道長にはむしろ好意的ですらあったため

清少納言は道長のスパイなのではないか? との噂が出たこともあり
その際はかなり落ち込んで 4か月間も実家に帰ってしまったそうな


彼女は 後宮での会話の名手として名を馳せていて

時期を外さない瞬時の対応で
短く わかる人にはわかる式の 
相手の知識や才能に訴える受け答えが出来る

自分は美人でないと思っていたので 尚更 話術に磨きをかけていた
との説もあるようです


自然や人の情感に敏感で 超がつくほどの 好奇心の旺盛さを併せ持つ
女嫌いで 主人である定子以外の女性には全く興味がなく

その一方で 一流の男好き
しかも 一流でない男には興味を示さない

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そんな性格の彼女の筆運びは きびきびしていて
連想を自由に飛ばし 思いの赴くままに筆を走らせる

実録的描写に優れ きりっと引き締まってスピード感がある文体
ノリがよくて おまけに軽妙な風刺まで利かす

個人的には こういう筆運びは 大好きです!(笑)


ちなみに彼女 バツイチで
離婚後に28歳で中宮に仕えるようになったそうです

旦那さん 大変だったのかな?(笑)

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一方 紫式部の性格は

どちらかというと ネクラでカマトト

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漢字や歴史に詳しいことを自慢しながら
周囲への配慮から 他人にはそのことを隠し続けます

当時の女性は 漢字(学問)は必要でなく
むしろ漢学に長けると女らしさに欠ける とされたので
致し方ない処世術であったようですが

つつましく 目立たないようにしていながら
自らの才能には ただならぬ自信を持っていたようで

源氏物語の空蝉は 自分がモデルではないかと言われています


人には本心をすべて打ち明けさせて 自分の本心は決して明かさない

こうした性格は 隙がなさ過ぎて どこか意地悪に写ります

実際に後宮では 周囲の女房たちからの嫉妬に悩まされたようで
貝のように閉じこもり
ネコをかぶって 女の修羅場をくぐりくけようとしたとのこと

カマトトと言われる所以は そんなところにあるのかもしれません


それでいて 男よりもむしろ女好きで

紫式部日記には 
多くの女房の容姿 衣装 立ち振る舞いが詳述されています

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当時としては新しい文学ジャンルである「物語」への意識も強かったようで
男が書いた正史よりも 物語の方が人の本質を著せると認識し

歴史書などは事実を記したメモに過ぎない と述べています

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そして この時代の女性を
自分の運命も決められず 幸せも他人任せの受け身な生き方しかできない
不自由で哀れな存在としてとらえていました

源氏物語が 実は女性を描いた作品であると言われるのは そのためです


また 前回ご紹介したように
清少納言に対する 一方通行的な激しいライバル心を持っていた一面もあります

そういう意味では 色々な意味で 
清少納言よりも 女らしい方だったのかもしれません?

あ このコンテクストで 女らしい なんて書くと 怒られるかな?(苦笑)

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ちなみに 彼女は未亡人で
27歳の晩婚でしたが わずか2年で夫は先立ってしまい
夫の死後に30歳で彰子の宮に仕えるようになりました



さて このように 対照的な性格だった 清少納言 と 紫式部

彼女やパートナーにするのは どちらのタイプが良いでしょう?
読み手の皆さんは どう思われますか?


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書き手は

ユーモアを解し 軽妙洒脱な会話が楽しめる清少納言に魅力を感じますが

紫式部の 物語や  当時の女性の生きざまに対する深い洞察にも
魅力を感じます


うーん でも

どちらか一方 と言われたら 清少納言かな?


でも お恥ずかしいことに
枕草子も源氏物語も まだきちんと読んだことがないのですよ!

そろそろ歳も重ねてきたので 
ふたりの性格を思い浮かべながら 読んでみようかと思っています


2018.02.26更新

清少納言 紫式部 も 後宮の女房であったとお話ししましたが

そもそも 後宮や女房ってなに?


後宮

なんとなく隠微な響きを持つ(?:笑)言葉ですが
皇帝や王様の皇后や妃が住むところを 後宮と言います

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この図だと 上半分に描かれたピンクのエリア

有名なところでは 江戸時代の大奥も後宮ですね

清少納言や紫式部が活躍した平安時代には 内裏と呼ばれていました

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で その後宮で 皇后や妃に仕えるのが女房

主から部屋(房)を与えられて奉公した女性のことを言い
ひとりの后に20~30人ほどの女房がいたそうです


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皇后や妃の身の回りのお世話をしたリ 雑務を行うわけですが

政府の要人や行政機関の官僚が 天皇や皇后に取次ぎを頼む際にも
女房を通じて頼むこともあり
そういう意味では ちょっと生臭い職務もされていたようです


さて 平安京時代の女房は
主の話し相手 教育係 としての職務が重要視されており
それが故に 選別は厳しかったとのこと

今の県知事にあたる役職である受領の娘が
女房になることが多かったそうです

というのも 受領は経済的に恵まれていることが多かったので
その家庭は個性を重んじる自由な雰囲気があり
受領の娘としての地方住まいの経験が文化的奥深さも育くみ
まさに女房の職務を果たすのに適役だったのです


また 後宮での生活では それなりの衣装を着る必要がありますが
そうした費用は全て時前だったので
実家が経済的に恵まれている必要もありました

こうした背景から
多くの受領は 娘を女房として後宮に送り込むことに躍起になり

そして 清少納言も紫式部も 受領の娘でした


ちなみに 受領の娘は
上流社会の殿方からも 交際相手としてたいそう人気があったそうです

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さて 平安京の後宮は まさに文化サロンのような存在

女房は 雇用主である皇后 妃や 後宮を訪れる公卿殿上人と
まさにエスプリに富んだ会話を繰り広げていたようです

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かつての銀座のクラブでのホステスとインテリ客の会話のように
と言われる方もおられるようです

今の銀座は どうなのかな?(笑)

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ですから
特に公卿殿上人たちが 天皇 皇后への接近の手掛かりとして
後宮の女房に接近を試みる際には

女房は その会話において
ツーカー式の瞬時の反応 その裏に潜む学識の深さ が求められました

共通の教養・知識に基づいた気の利いた会話ができることは必須であり

特に 当時の男性社会では漢学が必須の教養でしたから
漢詩文が共通の話題となることも多く
女性とはいえ漢学・漢詩に通じていることが 人気のある女房の必須条件でした

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そして かな文学の代表的な作家である清少納言も紫式部も
男勝りの深い漢学の教養を 身につけていたのです

そんな女房たちと公卿殿上人たちの エスプリに富んだ気の利いた会話が
昼な夜な 御簾越しに交わされる

その様子は 枕草子にも源氏物語にも たびたび登場します

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この 御簾越し というのが なんとも優雅で格好が良いですよね!(笑)


うーん それにしても

後宮の生活 奥が深そうですね

格好良いけれど 勉強してついていくのが 大変だったろうなあ(笑)

 

 

2018.02.23更新

清少納言 と 紫式部

王朝文学史に燦然と輝く名を残すふたりが
ライバル関係 女の戦いがあったのではないか?

そんな風に邪推されるのは
ふたりがともに 一条天皇の後宮に仕えていたからです


清少納言は 

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一条天皇の最初の妃である 定子に仕えました

定子は 時の絶大なる権力者 藤原道隆の娘で
一条天皇が10歳  定子が14歳の時に 定子は後宮に入内しました

その3年後に 清少納言が女房として仕えるようになります

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一条天皇も定子も 聡明で文化好きだったことから
定子が中心となった後宮は まさに洗練された栄華な世界で

人々が共有する知性 教養に裏付けられた
風流で機知に富んだ会話が交わされる 
開明的な雰囲気にあふれていたそうです

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しかし 幸せな良き日は長くは続かず
道隆が糖尿病で没すると 藤原家内で熾烈な権力争いが起こり

道隆の長男・伊周(定子の兄)は
道隆の弟の道長の陰謀により失脚してしまいます

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そして 世は 道長の時代になります

道長は 得意の策略を巡らせて 定子が一条天皇に会えないようにし
さらに自分の娘の彰子
一条天皇の第2の皇后として後宮に送り込みます

一条天皇が20代 彰子が12歳のときです

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こうしてふたりの皇后が並び立つ状況になりますが

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既に清少納言らの活躍により 文化の誉れ高い定子の宮 に対抗するように

道長は教養高い女房をたくさんヘッドハンティングして
彰子の宮を盛り上げようとします

ここでスカウトされた女房のひとりが 紫式部 でした

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紫式部は 清少納言に匹敵する活躍を道長に求められ
当時は貴重品だった紙 墨 硯などを 道長から豊富に供給され
源氏物語を書くに至ったと言われています


そういう意味では 清少納言と紫式部は
それぞれ 定子宮と彰子宮の文化広報担当職のような存在で
確かにある意味で ライバル関係にあったと言えるのでしょう


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しかし定子は 彰子が後宮に入ってからわずか10カ月で
産後の状態が悪く 25歳の若さで あっけなく亡くなってしまいます

そして 定子の宮はなくなり 清少納言も後宮から去ります


紫式部が彰子の宮に女房として仕えるようになったのは
彰子が後宮に入って何年後かと言われていますから

実際に後宮で 清少納言と紫式部が
顔を合わせて言葉を交わすといったことはなかったと考えられています


うーん 才能があり筆も立つ女同士の
バチバチとした火花を散らす争いを期待する下衆としては
ちょっと残念な展開ですが(苦笑)

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でも 少なくとも紫式部は
清少納言のことを かなり意識していたようです

というのも 紫式部は自らの筆で 清少納言のことを

利口そうに漢字を書き散らしているけれど よく見ると間違いも多く
こんなふうに自らの才能をひけらかそうとする人の行く末は
必ず悪くなるばかりだろう

と 辛辣に評しているのです

しかも 後ろ盾である定子が亡くなり
清少納言がひとりでわが身の行く末について案じている状況で
このように完膚なきまでに論破していて

水に落ちた犬は打て 的な感じで
うーん ちょっと意地が悪いかな という感じすらします

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確かに 知的で華やかだった定子の宮 その中心にいた清少納言に対して

時の権力者の交代により しゃしゃりでてきた感じの新興の彰子の宮で
清少納言と同じ役割を求められていた紫式部としては

定子の宮や清少納言に対する
並々ならぬ対抗心やライバル意識はあったのでしょうが

清少納言が なにかの折に 単なる興味で
紫式部の亡き夫の派手な衣装を難じたことを根に持って
清少納言に対してただならぬ意識を持っていたという説もありますから

もしかしたら 紫式部の方から清少納言への
一方的な負の感情ベクトルがあったのかもしれません


それに ふたりの性格が 対照的と言っていいほど異なっていた

紫式部が清少納言を過度に意識する理由は
そんなところにもあったように思います

ふたりの性格が どんなに対照的だったかは 次回詳しく説明します



2018.02.19更新

もう だいぶ前のことになりますが
NHKの大河ドラマで 松山ケンイチさん主演の 平清盛 が放映されていました

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視聴率が大河ドラマの歴代ワースト記録になるくらい不評で
営業的には散々だったようですが

書き手は 結構面白いと思い
あまりテレビの連続ドラマを見ない書き手としては珍しく
毎週欠かさず見ていました


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そのなかでも 印象に残っていることのひとつが
西行役の役者さんが 和歌を詠むシーン 

本当に 歌を唄うように大きな声で節をつけて 作品を披露するのですよ

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季節のTPOに応じて 昔の名歌と言われる和歌を
さらっと口ずさんだりできると たいそう格好良いと思うのですが

和歌は どうも馴染みがなくて
本に書いているのを 文字で読むのが面倒くさい 
という印象が強かった

でも あの番組を見て

平安時代には あんな風に 
まさに歌のように詠んでいたのか


確かに 文字で読むより 音として耳から入った方が
印象に残るなあと

いたく感心したのを覚えています

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そのあと 平安時代の王朝文学に関する本を読む機会もあって

和歌集とか日記とか 結構面白いかもと思いつつ
未だに本格的に読んだことはないのですが

そのあたりの書籍を漁っていて 書き手の下衆心に触れたのが(苦笑)

清少納言と紫式部の関係
です

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清少納言 は 枕草子

紫式部 は 源氏物語


いずれも王朝文学を代表する名作古典の作者ですが

二人とも同時代 一条天皇の後宮で女房として働いていたことから
ちょっと微妙なライバル関係のようなものがあったようで

そういう下衆っぽいのが決して嫌いではない書き手は
ついつい興味を持ってしまうのですよ(苦笑)



で 平安時代の文化的環境は なかなか雅で やんごとないのですよ

もちろん 
奈良時代の 中国に追いつき追い越せブームが残っていますから

圧倒的に漢字文化が幅を利かせていて 公文書などは全て漢字
男が身につけるべき教養の第一は漢学だったわけですが

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徐々に 平仮名を使った和歌文化 が勢いを増してきて

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特に男女の関係においては
何度か和歌のやりとりをして 互いの人格 教養の深さを推し量り
親交を深めていく 

そんなおしゃれなことが行われていたそうで

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まあ 鼻持ちならない とも言えますが(笑)


一方で 政治の世界はいつの世もドロドロしているもので

当時は 藤原摂関家の全盛時代

ときの権力者は自分の娘を次々に天皇の后に送り込んで
天皇を意のままに操り 思うままに政治を動かしていたわけです

当然 藤原家内ではトップを巡る権力闘争が頻繁に行われていて

清少納言や紫式部が活躍した一条天皇時代は

最初は藤原道隆が絶大なる権力を握っていましたが
彼は 当時は飲水病と呼ばれていた糖尿病により亡くなってしまいます

その後 道隆の子供達と 道隆の弟の道長との間で権力闘争が行われ
剛腕だった道長が天下を握ります

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ちなみに道長は以前ご紹介したように
日本を代表する(?)糖尿病患者さんとして
インスリンの結晶とともに切手に描かれています

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さて こうした文化的 政治的環境のなかで

清少納言と紫式部は どのようにして名作を世に残したのか?
それぞれの性格はどんなだったのか?

そして 気になるふたりの関係は?

次回 詳しく解説します



2018.02.09更新

もう一昨年のことになりましたが
アメリカ大統領選挙で ヒラリーが敗れたとき

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それまでも指摘されていた

女性がなかなかトップになれないという ガラスの天井論 が

再度 注目を浴びていました

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それに関連する形の「女性とリーダー論」で
こんな興味ある記事を読みました

一昨年5月 ヒラリーが出馬宣言をしたのと たまたま同じ日に
 
大西洋を隔てた アメリカとフランスの代表的な新聞である
ニューヨークタイムスの編集主幹と ルモンドの社長が退任したそうです

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NYタイムスの編集主幹は「強引」 ルモンドの社長は「独裁的」

そんな言葉で評される それぞれの経営スタイルが批判を浴びての 
事実上の更迭だったとか


しかし 強引とか独裁的という言葉は 
ときとして優秀なリーダーを褒める際に用いられることもある

少なくとも 男性の場合は、、、


そう 更迭されたNYタイムス編集主幹もルモンド社長も 女性でした

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女性と男性では
リーダーとして期待されるものが異なる というダブルスタンダードは
決して過去のものではなく

リーダーの「女性らしさの神話」は今もって健在で
女性のリーダーが組織を追われるときは 
必ずと言っていいほど「強引」「独裁的」という形容詞がつけられるとか

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そんなこと考えたこともなかったので 読みながら驚きました 

世の殿方たちは 女性が自分の上司になったとき 彼女を

*周囲を和ませながら完璧に女性らしさを発揮するリーダー

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*独裁的で鼻持ちならないリーダー

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の対極的な2項分布的評価をしがちだそうですが
 
男性が上司のときは そんな極端な評価をすることはあまりない


そして上司と部下で衝突があって 
女性上司が男性の部下を評価指導するとき

部下の男性は 
それを冷静に受け入れられるタイプと 
生理的に受け入れられないタイプがいて

後者のタイプの男性部下は 
女性上司を「独裁的で鼻持ちならないリーダー」
と評することが多いそうです

まあ 似たような傾向は
男性の上司のときにも多かれ少なかれあるでしょうが

でも女性リーダーは ともすれば 冷酷なモンスターのように見られ

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男性リーダーと同じように判断や仕事をしていても
ある種のバイアスがかかった物差しで評価され

更迭されるときは男性リーダーと異なり 実績以上に性格が話題にされる

女性は絶えず その本能を詮索され続ける 
それが リーダーさえも逃れられない女らしさの呪縛である

と この記事を書いた女性作家は結んでいます

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まあ 裏を返せば 
上述した 女性上司からの評価指導を生理的に拒絶するような
男社会の ”未熟さといやらしさ” がなせる業 ということでしょうか?(苦笑)

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うーん 書き手は幸か不幸か
これまでの人生で女性上司を持ったことはないし 
自分自身が女性ではないから 

この話題は
イメージすることはできても リアルに実感することは難しい


でも 最近日本は 女性の社会進出の度合いの少なさで
世界から かなり白い目で見られつつあるようで
この状況は相当ヤバイそうです

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確かに 書き手が海外の学会に出席した際などには
女性の座長やスピーカーの数が日本の比ではないほど多く
最初はびっくりしたものです


書き手は この手の差し迫った問題を解決するには

男性が 自らの幼さ(?:苦笑)を反省することはもちろんですが

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女性も 一握りのGlass ceilingへの挑戦者だけでなく
多くの女性が ある意味で意識改革をしないといけないようにも思います

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言うは易しで 難しい問題なのですが、、、

 

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