左利き肝臓専門医ブログ

2017.10.06更新

ダヴィンチとミケランジェロの企画展で いちばん面白かったのが

絵画と彫刻の比較論です


確かに 

ダヴィンチは絵画に 
ミケランジェロは彫刻に

それぞれ秀でていましたが

対照的な二人が 絵画と彫刻の関係をどのようにとらえていたか?


ちなみに 書き手は彫刻が大好きです

なにせ マイ神様の1番手に上がってくるのは
この圧倒的な作品を作られた ベルニーニさまですから

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で 書き手の好みはどうでもいいのですが(苦笑)

ダヴィンチは こんなことを語っていたそうです

絵画の驚くべき効果は 
二次元の平面に三次元の立体を表出させることで

自然に則り 見える通りに陰影や遠近をつけて描くことである

一方 彫刻は 
陰影や遠近をつける必要がなく 自然に助けられている


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こんな風に 絵画の彫刻に対する優位性を言及したのちに

さらに

画家は 精神的な労苦を被りつつ絵筆を執り優雅な仕事をするが

彫刻家の仕事は 肉体的労苦のみで 石材の粉まみれになる劣ったものである

とまで 言い放っていたそうです


えーっ そこまで言う? という感じですが(笑)


ダヴィンチは
絵画や彫刻が 音楽や詩よりも劣るものと見做されていた当時の社会風潮に
異を唱え

視覚を聴覚より上位の感覚と捉え

その視覚に持続的に訴えかける芸術である絵画は
聴覚から瞬時に消えてしまう音や言葉に頼る芸術より上位に来ると考え

さらに リベラルアーツの必須項目であった数学や天文学の知識を
絵画の執筆に際して応用して取り入れて融合させることで
絵画をより地位の高い芸術に高めようと試みたそうです


いかにも ダヴィンチらしい(笑)

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それに対して 彫刻の人であるミケランジェロは

絵画に浮彫の効果が近づけば立派になるが 逆は真ならず

と 絵画に対する彫刻の優位性を唱えはしたものの


制作に肉体的な労苦をともなうことを除いては 絵画も彫刻も同じである

と述べ 
彫刻の優位性を必要以上に主張することはなかったそうです


また 彫刻の出発点は素描である とも述べ

絵画と彫刻 いずれの基礎ともなる素描の重要性を指摘し
同じ土俵にあるものとして 絵画と彫刻の差異をことさらに強調しなかった


大人ですね!(笑)


でも ミケランジェロは

彫刻とは 削りとっていく芸術である

と 絵画にはない彫刻の特徴を シンプルな言葉で強調もしています

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そう まさに彫刻という芸術のポイントは そこだと思うのですよ

ベルニーニは
岩山から切り出された大理石の巨大な塊を前にして

神の導くままに この塊から神の像を掘り出していく と語ったとか

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ダヴィンチが
肉体的労苦のみで石材の粉まみれになる劣ったもの と揶揄した作業こそが
彫刻という芸術の真髄ではないでしょうか?

そして それが出来るのは

キャンバス上で 二次元の平面に三次元の立体を表出させる才能とは異なる
石塊から作品を削りとって生み出していく才能を天から授けられた彫刻家

だと思います


ミケランジェロは こんな印象的な言葉も残しています

私には 大理石の塊の中に天使の姿が見える
私がすることは 彼がそこから解き放たれるまで 石を削っていくことだ

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彼にとって 彫刻家の仕事とは
あらゆる石塊の内に潜む像を 開放することだったのですね

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さて 

絵画の優位性を声高に主張したダヴィンチに対し
敢えて彫刻の優位性を大っぴらに主張することはなかったミケランジェロですが

騎馬像の素描をもとにブロンズ像を作ろうとして
結局できなかったダヴィンチのことを
仲間内であからさまに揶揄することもあったそうで

ダヴィンチとミケランジェロの関係 奥が深そうで
いったいどんなだったのか ちょっと下衆心がくすぐられます(苦笑)


ちなみに ふたりの財産記録をみてみると
ミケランジェロの方が ダヴィンチよりはるかに多くの蓄財があったようで

うーん 金持ち喧嘩せず ということ?(笑)

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つまらないオチになってしまい
ダヴィンチの科学者や芸術家としての純粋さを愛するファンの皆さん
申し訳ありません(笑)



2017.10.02更新

宿命の対決 ダヴィンチ vs. ミケランジェロ

うーん ずいぶんベタな企画をされますなあ(笑) 
三菱一号館美術館さん

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ルネサンスの2大巨匠をライバル関係のコンテクストでとらえるのは
ありそうで なかなか実現できない企画のように思いましたが

そんな風に斜めに構えながらも
書き手はしっかりと 美術館に足を運ぶわけですよ

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はい この企画展を思いつかれたキュレーターさんの勝ち!(笑)

そして この企画だと やっぱり混んでいますね!

それでなくても 訪れたのが終了間際の週だったせいもあり
開館時間には入口に既に列ができていました

この美術館は展示室が狭いところがあるので 混むとキツイ


で ライバル関係をモチーフにした企画展に興味がある人は
当然 どちらかへの思い入れがより強くて
その思いを確認するために 会場に足を運ぶ?(笑)

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書き手は 行く前から ミケランジェロ派!

ダヴィンチは 中学生の頃は尊敬していましたが
ミケランジェロとどちらが好みかと聞かれれば 当然 後者です!

その訳は おいおい語ることとして
ふたりの世界に入っていくことにしましょう


この展覧会がユニークなのは 色彩が施されている作品が少ないこと

ほとんどが素描 デッサンです


書き手は もともとデッサンが大好きですが

絵画制作の出発点であるデッサンには
画家のインスピレーションがダイレクトに反映されるし
また 画家の描き方の個性がプリミティブに顕れる

という解説を読み なるほどね! と とても納得しました


で 最初に展示されているデッサンが

ダヴィンチの自画像 と 
ミケランジェロの「レダと白鳥」の頭部のための習作

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このふたつの作品をじっくり見ていると
ダヴィンチとミケランジェロの違いが よく見えてくるように感じます

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書き手はやはり 右側のミケランジェロのデッサンに魅かれるのですよ

だって 気持ちが伝わってくる感じがするでしょう?



ダヴィンチとミケランジェロは 25歳も年が違います

しかし ふたりはイタリアルネサンス芸術の二大スターとして認識され
周囲はふたりをライバルと見做し
同じ広間の壁画をパート分けして描かせ競わせたりしました

なんと 本人たちの互いに対する意識も かなり強烈なものがあったようです

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でも ふたりの絵画や芸術に対するスタンスは全く異なるから
ライバルとして比較することは 意味がないと思うのですよ

ダヴィンチはクールに ミケランジェロは情熱的に 芸術に取り組んだ

とでも言えるのでしょうか


この企画展の図録の冒頭で
ローマ教皇庁の文化財委員会のお偉いさんが解説されていましたが

ダヴィンチ

フィレンツェにおけるキャリアの出発点で抱いていた
芸術に対する唯美主義や抽象的な精神主義に別れを告げ

現実的な経験を表現するものとして芸術を捉えなおし
やがて 自然科学や発見の追求のために芸術を卒業した人であり

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一方 ミケランジェロ

芸術に 物事の本質を越えた奥深く超越的な探究を求め
そうした美徳 意志 エネルギーといったものを表現しようとした

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つまり

ミケランジェロは 人というものの内面や魂の表現を芸術に求め

ダヴィンチは 自然の中での人間の存在を
科学の一部としての芸術により明らかにしようとした

というのです


で 書き手は 芸術の根本はパッションだと思うのですよ

もちろん
表現を豊かにするためのテクニックとしての自然科学的手法は重要ですが
それが目的となっては 本末転倒のような気がします

だから 正直言って ダヴィンチの絵画の良さが いまひとつわからない

ミケランジェロの作品の方が わかりやすく 共感できる


でも ダヴィンチの芸術の良さも理解できるようになりたい
 
とも思うのですよ

モナリザの謎の微笑みの わけを知りたい?(笑)

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いやはや 何を言っているのか よくわからなくなりましたね(苦笑)

 

 

2017.09.15更新

パウル・クレーの話を続けますが

彼は 音楽と絵画 の両方に強く惹かれていて
音楽の分野で用いられている ポリフォニー というコンセプトを
絵画にも導入しようとしました

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ポリフォニー って なんだ?

ポリフォニーとは もともとは音楽用語で

全く異なる旋律を歌う複数の声が 同時に進行し
それら複数のパートが互いに影響しあうことによって
協和したひとつの曲を形成する

18世紀に生まれた そのような音楽形式を指します


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中世の教会音楽でよく用いられた技法のようで
教会全体を共鳴させるような響きわたる宗教音楽の音響効果は
ポリフォニーに依るところが大きいと言われています

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この技法のポイントは 

複数の異なる動きの音による構成で
それぞれが勝手に自己主張をしながら
その混沌の中で なにか予定調和的なものを創造する

それが 聞く人の心の琴線にうったえるのかもしれません



さて クレーは

自立した複数の主題が同時に存在するのは 音楽に限ったことではない

と語り


最初は 水彩画で透明な色層を重ねていく画法

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やがて 点描と太い線による区切りを用いて
画面の多声性を構成する画法を駆使することにより

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絵画におけるポリフォニー表現を試みたそうです


前回のブログ
こうした画法により 時間の流れを表現しようとしたのではないか
と推測しましたが

展覧会で購入した本を読むと 彼が表現したかったのは

「時間の流れ」 ではなく 「過去と現在の同時性」 だったようです


なるほどです

経時的な流れの中で立ち止まる のではなく
タイムワープするような感覚 意識を 表現したかったのでしょうか?


そして 絵画におけるポリフォニー表現で最も重要なもの

それこそ まさに色彩!

クレー 奥が深いです!

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もうひとつ忘れてならないのが 運動というコンセプト

ポリフォニーで表現したいことのひとつは
世の流れを表す 運動 なのでしょう



複数の主題の同時多発性と相互作用

全体の流れとしての運動


クレーが表現しようとした このようなコンセプトが妙に気にかかるのは

現代社会や科学の主流である 分析主義的なパラダイムに
行き詰まり感を憶えているからかもしれません


書き手のブログでは
度々 木を見て森を見ず という表現が出てきますが

大学で研究をしていた頃も
いつも 分析主義的なパラダイムには疑問を持っていましたし

今 ブログを書きながら 世の中の色々なことについて考えるときも
それは変わりません


分析的なスタンスや手技は 慣れると意外に簡単で
ある意味で 何の疑問もなくその世界に没頭することが出来ます

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一方で

世の中で起こっているさまざまな事象を
包括的に解析したり 俯瞰的に見ることは
想うのは簡単ですが 実際にはなかなか困難です

だけど それをやらないと 根本的な理解はできないのかもしれない


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クレーの作風を詳しく学んで ふと そんな思いを再認識した次第です


そんなこと AIなら簡単にできるのかな?(笑)



2017.09.11更新

パウル・クレー

書き手が若い頃に彼の作品を見て感銘を受けた ご贔屓な画家のひとりです

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ずいぶん前のことですが
竹橋の国立近代美術館で 大々的なクレーの企画展が開かれ 見に行きました

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国立近代美術館
上野の国立西洋美術館や 六本木の国立新美術館に比べると
落ち着いた感じがして とてもお気に入りです

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週末に午後8時まで開いているときは それほど混んでいないので
のんびりと好みの絵画を鑑賞できて 幸せな気分になれます


で あの時のクレー展は

クレーという画家が いかにして絵画表現を創り上げて行ったかに迫る

という明確なコンセプトが貫かれた構成だったので

今まで知ることがなかった クレーの創作過程の一面を知ることができて
とても印象の残る展覧会でした

キュレーターや編集者の存在意義というのは とても大きいと思います


クレーの作品を特徴づけるのは 線と色

画家の仕事というのは
見えているものを 単に描写することではなく
見えていないものを 描き出すことである

クレーの創作に対する姿勢は
彼が語ったそのひとことで 充分に語り尽くしているでしょう


初期の彼の作品では
線のみによって ものごとの本質を抉りだそうとしていて

そうした作品はとても見事で 観る者の琴線にうったえかけるものがあります

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線の本質を運動ととらえ
線の運動こそが 目に見えないものを描き出すことができるという考えは

とても斬新で とても印象深く感じます

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ただ 線だけでも充分に美しいのですが
やはり世の中 何かにつけて 色もないと、、(苦笑)


線のみでものごとの本質を抉りだす域に達したクレーは

チュニジア旅行で色彩に目覚め
その作風を大きく発展させることになります

クレーの作品を特徴づけているもうひとつの特徴は
やはり美しい色遣いでしょう

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個人的に好きなのは 色の展開というか グラディエーションです

線の本質を運動であると捉えていたクレーは

おそらく
色彩の本質も 運動や展開だと考えていたのではないでしょうか?

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水彩の塗り重ねによってグラディエーションを表現することにより
二次元的で静止した画面構成に
光のうつろいとか 時間の流れとか
そうしたものを表現しようとしていたのではないかなと思っています

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そして そうした「色」の展開による表現をより効果的にするのが
実は出発点の「線」にほかならない

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線だけでは物足りないし 色だけでも表現しきれない
色は大切だけれど それだけではダメだよ

ということで クレーの作品がインスパイアしてくれることは
絵画だけでなく 人の生き方にも共通する 意外に奥が深いものでしょうか?

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ところで こんな作品もあるということは
うーん クレーもネコ派だったのかな?(笑)



2017.05.15更新

実は エロオヤジ?

えっ クラーナハのことですよ
書き手のことでは ありませんからね(笑)


回顧展の最後の方に

女のちから 女のたくらみ

というタイトルのコーナーがありました


なんだか すごいタイトルですね(笑)


女のちから 女のたくらみ というのは

クラーナハが生涯 描き続けたテーマで
ドイツ美術では このテーマが描かれることが多いのだそうです

女性の身体的魅力 性的誘惑によって 男が堕落して破滅に至る

うひゃー 大人の世界ですね!


このコーナーで展示されていたのが

英雄ヘラクレスが 女王オンファレにより骨抜きにされ
だらしないデレデレ顔で 女性に取り囲まれているこの作品

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この作品は 女のちからを如実に表現しているのですが

ヘラクレスと距離をおいて 背後の右端に立つ女王オンファレの
見る者を挑発するかのような視線が ポイントなのだそうで

女性の 絵画を見る者を見つめるような ちょっとあやしげな視線が
見る者の欲情を刺激するよう 意図的に描いている

というのです

うーん そんなこと 少なくとも意識下では感じたことはなかったけれど
無意識下では 感じていたのかしらん?(笑)



そして 年老いた男性が 若い美しい豊満な女性を抱き寄せて
うっとりと見つめている「不釣り合いなカップル」

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ジジイの目線がデレデレなのに 女性の目線はとても冷めていて
そのコントラストが 世の中の哀愁を感じさせますが

この絵も 女のたくらみ を表現しているのかもしれません


そして面白かったのが
テレビ番組の ぶらぶら美術・博物館のクラーナハ特番で
コメンテーターの おぎ・やはぎ さんが こんな指摘をしたのですよ

これ 自画像じゃないの?

笑えました!


前回ご紹介したように クラーナハ自身が
画家兼実業家として成功をおさめ 経済的に裕福でもありましたし 

それに加えて 女性が大好きで
自分の理想とする裸体画を描き続けていたオヤジなわけですから

確かに デレッと若い女性を抱き寄せる裕福なオヤジは
クラーナハ自身かもしれません?(笑)


クラーナハ 後世 この作品がそんな評価を受けるなんて
思ってもみなかったかな?(笑)



そして 女のちから 女のたくらみ を締めくくる作品が

この  ユデイット

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いやー この絵は美しかったです!

この回顧展のために
ウイーン美術史美術館での3年間の修復 クリーニングを経たあとで

ビックリする 思わず息を呑むほどの美しさで
作品の前でしばらく動けませんでした


ユデイットがホロフェルネスを誘惑して その首をとってしまう
という かなりショッキングなモチーフな作品なのですが

ホントに美しいのですよ、、、


ユデイットは どちらかというと無表情で
一方 首を切られたホロフェルネスは 恍惚とした表情にも見える

このコントラストが すごい

男を誘惑して滅ぼしてしまう運命の女 ファムファタールの手にかかると
男は最後に こんな表情を示してしまうのでしょうか?

男って せつないですよね?(苦笑)


テレビ番組の日曜美術館のクラーナハ特番では ゲストが

ユデイットの表情は 能面のような表情だ 

と評されていました

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うまい比喩だ! と思いましたね


無表情のように見えますが
でも 得体の知れない妖しさが にじみ出ている


同番組の女性アナウンサーは
女性から見ると 力強さ 心地よさを感じる 
と述べられていて

えーっ そうなの?

女のちから 女のたくらみ って ホント 奥が深いな!
と 書き手はしみじみ思ったわけですよ(苦笑)



ということで クラーナハの回顧展 充分に楽しむことができました

これまでは
変わったヌードを描く画家といったイメージしかありませんでしたが

画家だけでなく実業家としても成功する一方で
ちょっと変態オヤジっぽいエロオヤジでもあった彼の人となりが知れて
とても面白かったです



2017.05.12更新

前回 クラーナハは 独自の興味の対象に走ったと紹介しましたが

それは なんと 女性のヌード画だったのです!


確かにクラーナハというと
あの独特の表情 特異なプロポーションの裸婦画を
すぐに思い浮かべます

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クラーナハは
アルプス以北で 初めて神話主題の裸婦画を描いた画家でしたが

彼が描く裸婦画は

イタリアルネッサンスの画家達が描いた
豊満で優しくて 見る者を穏やかな気分にさせる裸婦とは
全く異なります

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ティチアーノの名作 ウルビーノのヴィーナスと比べると
その差が歴然です

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で ちょうど ぶらぶら美術・博物館 日曜美術館といった
テレビの美術番組でもクラーナハ展を特集していたので見ましたが

クラーナハのヌード画について

*エロい リアル 生々しい あやしい
*プロポーションを故意にゆがめて 身体をより俗っぽく描いている
*ネックレスなどのアクセサリーをまとっているのが より生々しく感じさせる
*シースルーの衣装をまとっているのが よりエロティシズムを彷彿させる
*同時代の普通の女性が脱いでいるような雰囲気がある
*きわどく 挑発的な画風で 見る者の心をざわつかせる危なさがある
*小悪魔的でありながら 気品があり 処女的な清楚さに溢れている

といった指摘がされていました


エロい あやしい、、、


なるほど 純粋無垢だった(?)高校生の頃の書き手に
クラーナハの裸婦画が 強いインパクトを与えたのは
そうした理由によるものだったのですね


また

*敢えて 写実的に描こうとしていない
*自分の美意識 感覚で 女性の理想像として描いている
*女好きが描いた しっとりと抜けるような肌の輝きがある

という指摘もありました

実際にモデルさんは このポーズを長時間キープできないそうで

クラーナハが モデルさんを見て写実的に描いたのではなく
自分の頭のなかにある裸婦像を描いていたことが 示唆されます

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まさに 自分の理想とする裸婦画を 極めていったのですね



でも クラーナハは
どうしてこうした裸婦画を たくさん描くようになったのでしょう?

なんとそこには 裸体画の需要が増した時代的背景があったのです


クラーナハが活躍した時代のドイツでは
ルターらにより宗教改革が盛んに行われていた時期でしたが

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その宗教改革により カトリックで需要が多かった宗教画の注文が減り

一方 宗教改革により禁欲性がさらに重視されたため
その抑圧の反動で プライベート所有の裸体画の人気が出始めたのです

そうした時代背景を敏感に読み取り
クラーナハは ドイツで初めてヌードを描き

しかも イタリアのヌード画と異なる
独自のオリジナルなヌード画風を確立し

それを量産し そして 飛ぶように売れた


これって
個人の趣味が たまたま時代の要請に見事に合った 
ということ?(笑)



ちなみに クラーナハは

同じビッテンブルグの街で活躍した
宗教改革運動を率いたルターの よき理解者であり協力者でした

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ルターの肖像画を何枚も描き
その肖像画により ルターの存在を社会に知れ渡らせることで
宗教改革の促進に貢献し

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妻の肖像画も合わせて描くことで
聖職者でも結婚できるという
プロテスタントの価値観の宣伝もなされました

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また ルターがドイツ語に翻訳した聖書の挿絵も
クラーナハが描きましたし

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サイドビジネスで行っていた印刷業により
聖書の印刷も行って 聖書の社会への広がりに貢献したのです


クラーナハがいなかったら
ルターの宗教改革も 上手くいかなかったかもしれません


その一方で

宗教改革により過度に禁欲的となった社会の
アンダーグラウンドな要求をとらえて
趣味の裸婦画の大量制作を行い しっかりと儲けていた


うーん クラーナハ 本当にしたたかですなあ、、、



2017.05.03更新

クラーナハの回顧展

いつものように イヤホンガイドを借りて 会場に入ります

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まず初めに クラーナハの人となりが紹介されます


16世紀 ドイツ・ルネサンス絵画の巨匠として活躍した彼は

ウイーンで頭角を現し始めた頃に
ザクセン公国のフリードリヒ賢明王にその才能を見初められ
お抱え宮廷画家として 公国の都ヴィッテンベルクで50年以上活躍します


当初は 注文された多くの肖像画を描いていたようですが

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人物の特徴をつかむのが上手く
緻密 細密な画風で 細部にこだわるリアルな描写に長けていました

そして 筆が速い 作品を仕上げるのが とても早かったそうです


こうしたリアルな描写力は 北方ルネサンスの画家の特徴で

まるで写真に写したように
細部まで緻密に描いていくのですよ

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これは イタリアルネサンスにはない特徴的な画風で

絵そのものの上手さという点では
北方ルネサンスはイタリアルネサンスをはるかに凌駕していたことが
実感できます


ちなみに 細部の緻密な描写という点では
ドイツ・ルネサンスを代表するもうひとりの画家
アルブレヒト・デューラーの方が クラーナハをはるかに上回ります

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書き手は 初めてデューラーのデッサンを見たとき
あまりの精密さに度肝を抜かしました

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デューラーとクラーナハは デューラーの方が1歳年上で
ともにドイツ・ルネサンスを背負った画家ですが

個人的には
デューラーは優等生 クラーナハは奔放 という印象があります


実際に デユーラーはキリストの受難を描くことを大きなモチーフとし
ドイツ・ルネサンスの伝統に沿った画風で邁進しましたが
クラーナハはその道から外れ 別の興味の対象を追ったとされています


その別の興味の対象が こりゃまたスゴイのですが

その話はまたあとですることとして(笑)


今回の回顧展でも 折に触れデューラーの作品も展示され
クラーナハとの比較対象がなされるような試みがなされ
とても興味深かったのですが

書き手はこれまで
どちらかというとデューラーの方が好きだったのですが
今回の回顧展を見て クラーナハへの興味が優るようになりました


回顧展で買ったこの本 まだ積読状態ですが(苦笑)
ふたりの画家の違いについて 詳しく勉強してみたいと思います

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さて クラーナハには 単なる画家とは異なる側面がありました

彼は 画家としては
自ら大きな工房を開き 多くの画家を雇い 分業体制で制作に励み
多くの注文に応じて 絵画を大量生産したそうです

その工房は 息子が引き継ぎました

まるで ルーベンスの先駆けのような存在だったのですね


で そうした画家としての日常業務をこなす傍らで
実業家としても大成功して

市長を3回務め
印刷所 薬局 書店など 手広くビジネスを展開し
なんと 町で1番の土地持ちにして 2番目の金持ちだったそうです

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クラーナハが活躍した ヴィッテンベルクの街

彼はこの街の 顔役だったのですね


そうだったのか~

画家というと なんとなく求道者的なイメージを持つので
ちょっとびっくりしましたが

でも これから紹介する クラーナハの人となりを考えると
なんとなく ビジネスマンとして成功したのも
うなずけるような気もします


さて どんな人となり なのでしょう?

次回のお楽しみ!(笑)



2017.05.02更新

昨秋の 古い話で申し訳ありませんが
上野の国立西洋美術館に クラーナハの回顧展を見に行きました

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クラーナハ展 500年後の誘惑


なんとも 思わせぶりなタイトルですね(笑)


ルカス・クラーナハ

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ご存知ない方も多いかと思いますが

15~16世紀 イタリアで生まれた美術改革運動・ルネサンスが
アルプスを越えてドイツにも伝わってきたときに
ドイツ・ルネサンス絵画の巨匠として活躍した画家です


このヴィーナス像 どこかで見たことがある
という方も 多いのではないでしょうか?

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書き手は クラーナハの熱烈なファンというわけではありませんが

でも なんとなく気になる存在でして

実はこの回顧展は 昨年開かれた美術展の中で
いちばん楽しみにしていました


銀杏の葉が ちょうどきれいに色づいていた上野の森

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国立西洋美術館の入口には
予想に反して沢山の人々がいました

えっ 世の中には 書き手のようにクラーナハを見に来ようという
ちょっと変わった人(?:笑)がいっぱいいたの?
と驚きましたが

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実はそうではなくて

国立西洋美術館がコルビジェ建築で世界遺産に認定されて以来
美術館見学目的で来られ
ついでに常設展を見学されていかれる方が増えたそうです

クラーナハ展そのものは すごい混雑 というほどではなくて
ちょっとひと安心しました(笑)

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書き手が初めてクラーナハの絵を見たのは 高校生の頃だったかな?

画家が描く裸婦像

この とても独特でエキセントリックな画風に
非常に強いインパクトを受けたのを覚えています

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普通 絵を見て感じるのは
美しい とか 暖かな気持ちになる といった
穏やかで平和な感情が多いのですが

クラーナハの作品から感じるのは その逆というか

えっ なんだ これ?

というような どちらかというとnegativeな情動で

でも だからといって 二度と見たくない と嫌悪するわけでなく
なんとなく 気になる


その後 ヨーロッパのあちこちの街で美術館を訪れたときも
クラーナハの作品に遭遇すると
ついつい 足を止めて しばし見入ってしまう

クラーナハには そんな不思議な印象というか 感情を持っていました


でも クラーナハの作品をまとめて見る機会はなかったので
上野でクラーナハの回顧展をやると聞いて
ずっと楽しみにしていたのですよ

さて どんな世界が広がり どんな新しい発見があるのでしょうか?

結構楽しみな気持ちで 地下に降りて 回顧展の入口に向いました



2017.01.23更新

美術館の企画展の終盤 特に最終日はとても混雑することが多いので
できるだけ期間の中盤あたりに行くように心掛けていますが

この企画展に行くチャンスがなかなかなくて
今回はパスかなと思っていたのですが
やっぱり行きたくなって 最終日に混雑覚悟で出かけました

といっても もう一昨年のことになってしまいましたが

(ストックしてあるネタを順不動で公開しているので
 ときどき すごく古い時期の話題になり恐縮です:苦笑)



渋谷の文化村美術館で開催されていた ラファエル前派展

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プレ・ラファエル


19世紀中盤 
産業革命を成し遂げ 世界に冠たる覇権国として栄華を極めていた
ヴィクトリア王朝のイングランド

科学的な合理性が最も尊ばれたその時代
絵画の世界では ロイヤル・アカデミーの権威主義が全てを支配し
アカデミーが範として掲げたのは ラファエル以降の古典主義の絵画

そんなアカデミーのもったいぶった権威主義に
反旗を翻した3人の若き画家

ジョン・エヴァレット・ミレイ
ウィリアム・ホフマン・ハント
ダンテ・ゲイブリエル・ロセッテイ

彼等によって作られた結社が ラファエル前派兄弟団(P.R.B.)

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彼等は 
ラファエル以前の中世の初期ルネッサンスの画家達の
プリミティブな画風を尊び

因習的なものや自己顕示的なものを排し
自然を注意深く観察して忠実に描くことを旨としました

その後 3人の結社はあっという間に分裂しますが

ロセッテイのもとにバーン=ジョーンズウィルアム・モリスらが集い
後期ラファエル前派グループが結成され

彼等の運動は その後の時代に一世を風靡した象徴主義絵画に
多大な影響を及ぼしました


ひとことでいうと
19世紀の合理主義を好まない ロマン主義的な心情を持った若者たちによる
権威主義へのプチ反乱で

ムーブメントとしては 大きく育ったリ長続きはしなかったけれど
その後の絵画の流れに重要な影響を及ぼした というわけです


書き手は 何をかくそう 象徴主義絵画のファンなので

象徴主義の誕生に影響を及ぼしたラファエル前派だから
見逃すことはできないというか

それほど積極的に見に行きたいわけではないけれど 
かといって無視はできない

プレ・ラファエルに対しては そんな中途半端なスタンスでして(苦笑)


で 予想通り 最終日だけあってかなり混雑していましたが
客層は若い人が多くて 男女比だと女性の方が少し多いかな?

ラファエル前派のファンは そんな構成なのでしょうか?


ラファエル前派に親しみがある方は
P.R.B.の3人のどなたの画風がお好みでしょう?

ロセッテイのファンが多いのではないかな と推測していますが
個人的にはミレイの画風に魅かれます

彼のオフィーリアを初めて見たときは 
かなり感動した というか ドキッ としました!

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ミレイの画風はロセッテイのそれとは対照的で

技巧が確かで とても美しい

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特に彼が描く女性には
ロセッテイが描く このプロセルピナのような強烈な個性はないけれど

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そこはかとない 品を感じます


書き手は 若い頃はロセッテイの方が好みでしたが

今回の企画展を見て 
改めてミレイの作品の美しさを再認識しました


で 今回 いちばん気になったのが この作品

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チャールズ・エドワード・ペルジーニという 
イタリア生まれのイギリス人画家の

シャクヤクの花 という作品

きれいです

ミレイの作品に似た美しさを感じました

この画家のことは知りませんでしたが 
ディケンズの娘さんと結婚されたそうな


あと ウォーターハウスのこの作品も気に入りました

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エコーとナルキッソス

右側の 水に写った自分の姿に見とれている少年は
ナルシスト の語源になった ギリシア神話に出てくるナルキッソス

寝食を忘れて自分の美しい姿に見とれているうちに 
水仙になってしまう有名な(?:笑)少年です



で 初期ルネッサンスの画家達が描いた 
敬虔なキリスト教精神に基づいた絵画を範とした彼等ですが

なんと 私生活は敬虔とは程遠く

ミレイは ラファエル前派の擁護者となった美術評論家のラスキンの奥さんを
ラスキンと一緒に旅行しているあいだに口説いて略奪婚するし

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ロセッテイは 恋多き男として 友人関係にひびが入るほどの数々の浮名を流し

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ハントは 奥さんの妹に二股かけたりで

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うーん さすがに 芸術家は奔放?(笑)


あ 品のないオチで 申し訳ありませんでした(苦笑)




2016.12.09更新

風景画と聞いて 多くの方がパッと思い浮かぶのは
モネをはじめとする印象派の絵画かもしれません


そういえば ちょうど1年ほど前に
東京都美術館で開催されていたモネ展は 
かなりの人気だったようですが

天邪鬼な書き手は モネ展には行かず(苦笑)

風景画はどうして描かれるようになったのかな? 

なんて思いながら 
同時期に渋谷の文化村 ザ・ミュージアムで開催されていた
「風景画の誕生」展に行ってきました

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西洋美術史をかじったことがある方ならご存知と思いますが

ヨーロッパでは 15世紀くらいまでは
キリスト教にまつわるテーマが描かれた絵画がほとんどで
肖像画や風景画は描かれていませんでした

ですから それらがどのようにして描かれるようになったかは
実は何気に興味深いテーマで
だからこそこの展覧会は ひきつけられるものがありました


ということで 久し振りに渋谷に向かいました

割とマニアックな企画なので それほどお客さんは多くないかな? 
と予想していましたが 
日曜日 しかも あと1週間で終了だったためか
かなり多くの方々が見に来られていました


この展覧会は ウイーンの美術史美術館が所有する作品の中から
キュレーターさんが テーマに合った絵画を選んで持って来ていて

*中世ヨーロッパの聖書や神話を主題とした絵画で描かれた
 背景として描かれた風景を突端に

*16世紀に入り 
 四季折々の生活情景や行事などをテーマにした
 農村風景の季節画や月暦画が描かれるようになり

*さらに 風景そのものが主題となり
 理想化された牧歌的な田園風景や 郷愁を誘う廃墟の風景が描かれ

*ついに17世紀のオランダで 風景画が独立したジャンルとして確立
 理想化された田園風景でなく 
 リアルなごく身近な風景が描かれるようになり

*そして17世紀後半のオランダやイタリアで
 自然でなく都市の風景が描かれるようになった

そんな風景画の発展の歴史が 経時的に理解できる構成になっています


17世紀のオランダで
風景画が独立したジャンルとして盛んになった理由は

ちょうどオランダがスペイン・ハプスブルグから独立して
海洋国家の先駆けとして栄え始めた頃だったことと

なにより 絵画を通してキリスト教世界を人々に広めようとする方針の
カトリックが有力だったスペイン・ハプスブルグに対して

偶像礼拝を好まないプロテスタントが主流だったオランダでは
カトリック的芸術の呪縛から逃れるような意味合いも込めて
風景画が発達していった 

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という説明は
まあ とてもリーズナブルで 納得のいくものでしたが
読み手の皆さんは そんなことにはあまり興味ありませんね?(笑)


さて 書き手がこの展覧会でいちばん魅かれたのは この作品でした

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聖カタリナの殉教をモチーフにした作品ですが

パッと見たときに 画面右中央に描かれているそのシーンより
左上方に広がる青い海と島々の風景に 
とても強く惹きつけられました

この青は 素敵です!


書き手は青が大好きですが

この青には 心躍る華やかさはないし 深く沈み込むような重さもない
青という色が持つ そんな特徴はいずれも有していませんが 

妙に心が落ち着くような静寂感があり ちょっと幻想的な感じもして
見ていて飽きないのですよ


この作品を描いたのは 15世紀末から16世紀にかけて
アントワープで活躍した ワロン地方(今のベルギー南部)生まれの
ヨアヒム・パティニール

初の風景画家と呼ばれた方だそうです

現在 世界に残っている彼の作品は わずか10点余りで 
幻の画家とも言われているとか

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彼の遠近の描き方は特徴的で
近景に緑色 遠景に青色を置くことによって遠近感を出し
広々とした奥行きのある空間を表現しているそうです

暖色は前に出て見え 寒色は奥まって見えるという
「色彩遠近法」の効果を上手く利用しているのだとか

なるほど そう言われてみるとそうですね

青と緑を用いた遠近表現なんて 考えたこともなかったので
とても新鮮に感じました


この作品を見ることができて 
ヨアヒム・パティニールの存在を知ることができただけで
今回の展覧会に来た甲斐は充分にありました


農村風景の季節画や月暦画も印象的でした

なかでも ベリー侯の豪華時禱書 は 本当に豪華で美しかった

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そんなわけで 
予想していたよりはるかに楽しい時間を過ごせて 有意義な午後でした

ヨアヒム・パティニールの本が最近出版されたそうなので 
読んでみようかな


と思っていましたが 1年経っても まだ読んでいません(苦笑)



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