左利き肝臓専門医ブログ

2018.05.25更新

ルドンは後半生になり がらりと作風を変化させます

40代後半から 明るく 色彩豊かな画風になったのです

それまで描いていた 暗くどんよりとした世界を抜け出して
鮮やかな色彩を これでもかとばかりに 用いるようになります

この大きなギャップには 驚かされます

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ルドンは自ら 色彩と結婚した と語っていたそうです


どうしてルドンは 突然 色彩を多用するようになったのでしょう?


解説者の方々は その理由について

内面から外部へ
メッセージを伝えたいと思うようになったのではないか?

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黒の時代にも 描いていたのは 光を感じる黒だった

常に光は感じていたが
黒の時代は 色彩はいつでも使えると考えていたのではないか

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などと 推測しておられます

満を持して 色彩の世界に登場してきた ということなのでしょうか?


でも 書き手は
ルドンの色彩は 印象派のそれとは 大きく違うように感じます

色に 思いが込められた感じ 深みがあるようで
単純に一筋縄では味わいきれない色彩 のように思われます

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例えば 展覧会の解説でも指摘されていましたが

彼は 色彩あふれる作品のなかで
ワンポイントの枝や花などを 赤で描きこんでいることが多く
色になんらかの意味を持たせようとしたのではないか とも思うのです

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ご贔屓筋が故の 深読みのしすぎでしょうか?(苦笑)



で いよいよこの企画展の目玉とも言える

グラン・ブーケ の登場です

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この作品は 高さ2.5mの巨大なパステル画
ルドンが60歳のときに描かれました

まずは 見上げるようなその大きさに 圧倒されます

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そして 暗い展示室のなかで
まるで後ろからライトをあてているかのように 光輝いて見えるのです

パステル画だから ということもあるでしょうが
その あふれる色彩と輝きに 再度 圧倒されてしまいます

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この作品は 1900年にブルゴーニュのドムシー男爵が
自らの城館の食堂に掛ける 装飾画シリーズとして発注し
ルドンが1年半かけて描いた16点の連作の1点です

連作の他の15点は 既にオルセー美術館が所有していましたが

このグラン・ブーケだけは
ずっと城館にとどまり 一般公開されていませんでした


それを 2008年に 三菱一号館美術館が購入しました

購入の際のいきさつを 企画展のカタログのなかで
美術館の高橋館長が語られていますが

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うす暗い城館の食堂で 初めてこの絵画を見たとき

なんとしてでも 購入しなければならない!! 

と 直観的に思われたそうです

そして今や この美術館の”顔”となっています

出会いは そんなものですよね(笑)


さて この企画展では 他の15点もオルセーから借りてきて
ドムシー城の食堂の模様を再現しようとしています

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他の15点も 穏やかな色彩で描かれていて 美しいのですが
やはりグラン・ブーケは 連作の中で異彩を放っています

淡いパステル調 ゴージャスさ 鮮やかな色彩

高橋館長は ミステリアスさ 神々しさ を感じる 
と表現されていました


必ずしも描写的ではなく
現実に存在しない 不思議なもの 花らしきものも描かれていますが

ルドンお得意の 見えないものを見る 画風が
このインパクトの大きい作品においても
しっかりと踏襲されているようです

見ていて 飽きません!


ドムシー男爵は ルドンの作品をとても気に入り
パトロンのような存在として
ルドンをイタリアへの美術探訪の旅に 連れていったりもしました


彼は 奥様の肖像画も ルドンに描かせていますが

これが よく見る肖像画の構図とは大違いで

画面の半分以上を 淡い何も描かれていない色彩の空間が占めていて
まさに ルドンの世界!

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この肖像画 奥様は 気に入ったのでしょうか?(笑)


帰りに売店で ルドンの自伝を購入してきました

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パラパラと読み始めていますが なかなか面白そうです
読み終わったら ブログで紹介します(笑)


集中して観たので ちょっと疲れて
美術館の3階から前の広場を見下ろすと
皐月の新緑がとてもきれいでした

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2018.05.21更新

ルドンは 20代はじめに 画家を目指してパリに出て修行しますが

画一的な 写実ばかりを重視するトレーニングに馴染めず
失意のうちにボルドーに戻ります

そして故郷で ふたりの人物に大きな影響を受けました


そのひとりが 放浪の版画家 ロドルフ・ブレスダン

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彼は自然描写が得意でしたが
目に見えない自然の神秘を描くことに熱心で

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ルドンは彼から 見えないものを見る創造力の大切さを学んだそうです


もうひとりは 博覧強記の植物学者 アルマン・クラヴォー

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ルドンは彼のもとで
顕微鏡を覗かせてもらい 未知の生命の世界を知りました

そして 目に見えない生命との出会いに 大きな刺激を受け
自然が有する不思議さのようなものを描くきっかけとなりました

いわば サイエンスとアートとのポジティブな関わり とも言えます


NHKの番組で解説していた方が

ルドンの自然観は
西欧的な人間中心の自然との関わり方ではなく
日本人の感性に近いものがある

と 興味深いことを語っておられました


またクラヴォーは 植物学だけでなく 芸術や文学にも造詣が深く
ルドンに ボードレールの詩集 惡の華 を
発刊直後に読ませたりもしました

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彼はルドンの さまざまな領域への関心を導いたのです


実際 ルドンの 得体の知れない怪物のようなものを描いた版画には
当時の科学の最先端だった ダーウインの進化論 をもじったのか
「起源」というタイトルがつけられています

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そして39歳で 石版画集「夢の中で」で やっと画壇にデビューします

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それは 色彩を一切使わない モノクロの世界でした

彼の前半生は 不思議で 怪奇的な作品が多く
独特のモノトーン モノクロの世界を表現していたので

黒の時代 と呼ばれています

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暗闇に浮かぶ目玉

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ヒトの頭を付けた植物

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黒い怪物 昆虫

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水のなかでうごめく 原始生命のようなもの

そんな奇妙なモチーフが 好んで描かれました


不思議な ファンタスティックなイメージ
内面的で 引き篭もった スピリチュアルなイメージ

まさに 自然の神秘 生命力 見えないモノ を
描こうとしていたようです



黒は ルドンにとって とても重要な色でした


彼は 黒を
最も本質的な色彩で 優れた精神の代理人と見做し

見えないものを表現するための色 心や精神を表す色
と考えていたそうです

ごまかしがきかない 誠実な気持ちの表れとしての黒


色彩は 見えるものを表現できるが 心や精神は表せないから
色彩に引きずられてはならない

とも語っていたそうです

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この作品 気に入りました!


うーん 黒というと
色々な絵の具を混ぜ合わせるとできてしまう色 といったイメージで

黒という色について そんな風に考えたことはなかったので
かなりびっくりしましたが

なかなかの奥深さを 有しているのですね!

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さて この時代のルドンの作品は ごく一部の人々にしか評価されず

しかもそれらは 芸術としての評価でなく
オカルト的な評価に過ぎませんでした


それでも 彼の作品を芸術的に高く評価する人もいて

例えば ポスト印象派のポール・ゴーガンは

ルドンの描くものには 本質的に人間的なものがある と評価し
心の声が聞こえてくる 生命の輝きがある 

と 讃えたそうです


2018.05.14更新

オディロン・ルドン は 書き手のお気に入りの画家です

最初に見た彼の作品は
妖しい目玉が宙を浮遊する モノトーンの 何とも言えない世界

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とても強烈な印象でした(笑)


ちなみに この 目玉

ゲゲゲの鬼太郎の水木しげるさんも 見てビックリされたようで
この絵から 鬼太郎のお父さんの目玉オヤジ  のイメージが
インスパイアされたそうです(笑)

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それから 別の機会に
パステル調の色彩鮮やかな花の作品を見て
とても気に入ったのですが

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最初は 同じルドンが描いた作品とは気づかず
あのモノクロの妖しい世界とうって変わった画風の変化に
驚いたものでした


そんなルドンの企画展が 三菱一号館美術館で開催されていたので
GWの一日 彼の世界を楽しみに行きました

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この企画展 タイトルはなんと 秘密の花園

うーん なんだか アヤシイ感じが示すね?(笑)


ルドンの世界に魅かれる人は少なくないようで
NHKの日曜美術館では 見えないものを見る というタイトルで
この企画展を紹介する番組を放映していました

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このタイトル まさに 言い得て妙です!(笑)


祝日のお昼過ぎに行ったので それなりの混雑でしたが
見に来ている人の年齢層は 比較的若かったです

三菱一号館は 多くの展示室が比較的狭いので
プライベートな雰囲気もあって良いのですが
混んでいると圧迫感を感じてしまうのが たまにキズです(苦笑)



さて ルドンは 19世紀末のフランスの画家

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その画風から 幻想の画家 と呼ばれ
前述したように 見えないものを見る という飽くなきスタンスで
生涯を貫き通しました


また 自由な解釈を好む画家で
自分でも 自由な思いつきでドンドン描いていきますが
鑑賞者にも 自由に作品を解釈してもらうことを望んでいたそうです

自分の作品は 音楽のようなものだ
見る人が 思うがままに 想像を膨らませてくれたら良い
と 語っていたとか

自由で 懐の深い方だったのですね


19世紀末のフランス画壇といえば 印象派の全盛期で
ルドンは あのモネと 同い年だったそうです

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印象派の画家達が描く 光あふれる作品は 世の人々を魅了しましたが


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ルドンは 敢えて
印象派のとりこぼしたもの 光では描き切れなかったもの を描き

時代の潮流に安易に組みせず
自分のオリジナリティを表現しようとし続けました


こうしたところが 書き手が ルドンを贔屓にする大きな理由のひとつです

天邪鬼の書き手は どうも印象派が苦手で
あまりに多くの方々が 印象派の作品を賛美されると

でも 彼等は光と自然しか描いていないよね
彼等の作品からは 精神的なものは あまり感じないよね

などと 若い頃から 皮肉なことをうそぶいていました(苦笑)


だから 書き手の御贔屓は
印象派の対極をなすともいえる 象徴主義

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ベルギーのクノップフとか 大好きです

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ちなみに ルドンは そうした自覚はなかったでしょうが
象徴主義の先駆けとも言える存在で

実際 象徴派の画家達は
見えないものを見る というルドンのスタンスを
手本としていたそうです


そんなルドンは 1840年にボルドーで生まれましたが
生後2日で 親戚の老人に里子に出され
11歳まで 荒涼とした田舎町のペイル・ルバードで育ちます

病弱 内気で あまり学校にも行かず
ひとりで 空想の世界に浸っていることが多かったそうですが
小さい頃から 絵を描くのが好きだったとのこと

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こんな風に 故郷の風景を 生涯にわたり何度も描いています


うーん こういうのを 栴檀は双葉より芳し と言うのでしょうか?(笑)


内気で夢想家の少年が
どんな経緯で 幻想の画家に育ったのでしょう?

企画展ならではのお楽しみで
これから 彼の生涯の流れにそって その作品を楽しむことにしましょう


2018.03.19更新

昨年は 一昨年のクラーナハ展のように
これは見に行きたい! と思う企画展がありませんでした

運慶は行きたかったけれど すごい混雑だったようで パス(苦笑)

そのなかで 唯一 食指が動きそうだったのが
東京都美術館で開かれていた テイツィアーノとヴェネツィア派展でした

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でも 開催期間中はなにかと忙しくしていて 残念なことに行く機会を逸した

幸い この展覧会について特集していた
NHK番組の日曜美術館を録画しておいたので
それを見て我慢することにしました(苦笑)


それにしても 番組のタイトルが 欲望の色彩 ですか?

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最近 いろいろな分野で 欲望 がキーワード?(笑)


テイツィアーノは 16世紀のヴェネツィア派を代表する画家ですが

正直言って ヴェネツィア派には馴染みがありませんでした

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あの頃のイタリア絵画というと
どうしてもフィレンツェとかローマが 興味の対象の中心となり
ヴェネツィア派まで守備範囲が広がらない

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というか 日本にはあまりプロパガンダされていない?(笑)


でも NHKさんがいみじくも 
欲望の色彩 というタイトルをつけられたように

フィレンツェが 素描にこだわった  のに対し

ヴェネツィアは 色彩にこだわった


ミケランジェロが テイツィアーノの作品を見て
彩色は良いのに素描がなっていなくてもったいない
と語ったという話もあるぐらいで(ホントかな?:笑)

それくらい フィレンツェとヴェネツィアでは
目指す方向が対照的だったようです


で 個人的にどちらが好みかといえば

天邪鬼な書き手は
素描を重視する正統派・フィレンツェより
感性にうったえかける色彩を重視するヴェネツィア派の方が好みかな


今回の展覧会の目玉作品のひとつが テイツィアーノのフローラ

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20代に描いた彼の出世作ですが 番組のゲストたちが絶賛します

*匂い立つリアリティ 官能美
*内側から色香がにじみ出ている
*可愛らしく品がよく いやらしさがなく 癒しすら感じる
*肌がなまなましくふくよかで さらに透明感がある

確かに魅力のある作品ですが そこまで誉める?(笑)


美術評論家の方たちは

*自分の世界を押し付けず 見る人を楽しませる工夫がある
*視線がはっきりしない 手の動きも曖昧 といった曖昧さが
   立体感を醸し出し 見る人の想像力に訴えかけるリアリティがある

とも 指摘されます

見る人の想像力をくすぐる 大切なことですね


この作品は それ以降 美人画の定番とされ 

その革新的な色使い 奔放な筆使いは 近代絵画の先駆けともされ
ベラスケス ゴヤ ルーベンス そして印象派の画家達に
大きな影響を与えたそうです



また テイツィアーノは
それまで神話のモチーフとして描かれていたヌード画を
よりリアルな身近なものとして描いた先駆者でもあり

彼のヌード画には
ヴェネツィアの成功した商人たちからリクエストが殺到したそうです


書き手は ウルビーノのヴィーナス がお気に入りですが

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円熟期にバチカンの枢機卿からのリクエストで描いたとされる ダナエ

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ギリシア神話に登場する王女ですが
その美貌に目をつけゼウスが 自らを黄金の雨に姿を変え関係を持った
とされていて

この絵は まさに天から降ってくる金貨と交わらんとする瞬間を描いています


快楽に身をゆだねる恍惚とした表情が 生々しくエロテイックで

これに比べると
ウルビーノのヴィーナスなんて修道女程度にしか見えない
などという過激な(?:笑)コメントもされていました

書き手は ウルビーノのヴィーナスの方が好みですが
まだ 大人の世界がわからないお子ちゃま ということ?(笑)


ちなみに ダナエは何枚も描かれていて
最初の頃の作品では 脇に天使がいたのですが

後の作品では 天使の代わりに
降ってくる金貨を袋に入れようとする老婆が描かれています

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人間 歳を重ねると 世の中が良く見えてくるということでしょうか?(笑)



それにしても思ったのですが
以前ご紹介したクラーナハのヌード画とは 全く異なりますね

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両方とも 官能にうったえかけてくるのですが うったえ方の質が異なる

この差は面白いです
イタリアとドイツの自然環境 文化 人々の性格の差によるものでしょうか?

そんなことを考え始めると また色々と楽しめそうですね(笑)

 

 

2018.03.16更新

そこの音は もう少し青っぽくならないかな?

ロマン派のアイドル(?)だったフランツ・リストは 
オーケストラが自分の曲を演奏しているのを聞いて
突然 そのような注文をつけた

という逸話が残っているそうです

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どんな曲の どんな場面で どんな楽器の奏者にリクエストしたのか
ちょっと興味深いですね


パウル・クレー展の思い出を綴っているうちに

それに相前後して
丸の内の三菱一号館美術館で カンディンスキー展
を見たことを思い出しました

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カンディンスキーも 書き手の贔屓の画家さんです

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クレーとカンディンスキーの関係は深く

まだ自分の画風を確立できていなかったクレーが
ミュンヘンで華々しく青騎士運動を立ち上げていたカンディンスキーを訪れ
交流を深めて やがてバウハウスで ともに教鞭をとることになります

クレーの画風には どことなくカンディンスキーの影響があるように感じるのは
気のせいではないかもしれません

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で そのカンディンスキー展ですが
初期の頃の試行錯誤段階にある作品が数多く見れて 面白かったのですが

いちばん興味をひかれた作品は
画面いっぱいに黄色の帯が爆発するように広がる
「印象Ⅲ・コンサート」 でした

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この黄色には 見る者を圧倒する迫力があります

カンディンスキーはシェーンベルグのピアノコンサートを聴きに行き
その調べに感動して 家に帰ってすぐにこの絵画の制作に取り掛かったそうです

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著書 「芸術における精神的なもの」 のなかで

この黄色は 輪郭を飛び出し周囲にその力を撒き散らす作用を持つ と表現し

黄色は 次第に高く吹き鳴らされるトランペットの鋭い音色のように響く

とも語っています


なるほど カンディンスキーにとって
トランペットの音色は黄色だったのですね

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世の中には シナスタシア・共感覚 という感覚があるそうです

ある刺激に対して 通常受ける感覚以外の異なる感覚が無意識に生じることで
文字を見て色を感じたり 形に触れて味を感じたり

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なかでも一番多いのが
音を聴いて色を感じる色聴と呼ばれる共感覚 だそうです

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文頭に記したように
リストがオーケストラに「その音をもっと青く!」とリクエストしたり
カンディンスキーがシェーンベルグのトランペットの音色に黄色を感じたり

そういうのも 広義の色聴感覚に含まれるのでしょう

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絶対音感を有する人は 色聴感覚を併せ持つ人が多く
また 高い音ほど明るい色に聴こえる(?)傾向があるそうです


また その逆で 色や形を見て音を感じる音視という共感覚もあるとのこと

薔薇の花を見たら どんなメロディーが聞こえてくるのでしょう?

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幸か不幸か 書き手はシナスタシアのセンスは持ち合わせていませんが
ちょっと世の中が変わって見えていそうで 共感覚がある人が羨ましく感じます


で リストが望んだ青い音はどんな音色だったのでしょう?
青色フェチの書き手としては かなり気になります(笑)


ちなみに シナスタシア

視覚と聴覚だと 鋭敏過ぎてバッテイングするかもしれませんが
視覚と嗅覚だと喧嘩せず むしろ視覚効果を高めるかもしれませんから
絵画と香りのコラボなんて 面白いかも?

でも シナスタシアの大きな特徴のひとつは 共通性がないことだそうで

美術館で万人受けするBGMや香りをみつけるのは 難しいかもしれません

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それにしても 凡才な書き手としては
シナスタシアを感じられる方がうらやましいです



で 最後にカンディンスキーの作品に話を戻しますが

書き手は個人的には
彼が若き日にミュンヘンの青騎士グループで活躍していた頃の作品より

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後年 バウハウスで教えていた頃の作品の方が

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より洗練された感じがして なんとなく好みです

いやはや(苦笑)



2017.10.06更新

ダヴィンチとミケランジェロの企画展で いちばん面白かったのが

絵画と彫刻の比較論です


確かに 

ダヴィンチは絵画に 
ミケランジェロは彫刻に

それぞれ秀でていましたが

対照的な二人が 絵画と彫刻の関係をどのようにとらえていたか?


ちなみに 書き手は彫刻が大好きです

なにせ マイ神様の1番手に上がってくるのは
この圧倒的な作品を作られた ベルニーニさまですから

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で 書き手の好みはどうでもいいのですが(苦笑)

ダヴィンチは こんなことを語っていたそうです

絵画の驚くべき効果は 
二次元の平面に三次元の立体を表出させることで

自然に則り 見える通りに陰影や遠近をつけて描くことである

一方 彫刻は 
陰影や遠近をつける必要がなく 自然に助けられている


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こんな風に 絵画の彫刻に対する優位性を言及したのちに

さらに

画家は 精神的な労苦を被りつつ絵筆を執り優雅な仕事をするが

彫刻家の仕事は 肉体的労苦のみで 石材の粉まみれになる劣ったものである

とまで 言い放っていたそうです


えーっ そこまで言う? という感じですが(笑)


ダヴィンチは
絵画や彫刻が 音楽や詩よりも劣るものと見做されていた当時の社会風潮に
異を唱え

視覚を聴覚より上位の感覚と捉え

その視覚に持続的に訴えかける芸術である絵画は
聴覚から瞬時に消えてしまう音や言葉に頼る芸術より上位に来ると考え

さらに リベラルアーツの必須項目であった数学や天文学の知識を
絵画の執筆に際して応用して取り入れて融合させることで
絵画をより地位の高い芸術に高めようと試みたそうです


いかにも ダヴィンチらしい(笑)

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それに対して 彫刻の人であるミケランジェロは

絵画に浮彫の効果が近づけば立派になるが 逆は真ならず

と 絵画に対する彫刻の優位性を唱えはしたものの


制作に肉体的な労苦をともなうことを除いては 絵画も彫刻も同じである

と述べ 
彫刻の優位性を必要以上に主張することはなかったそうです


また 彫刻の出発点は素描である とも述べ

絵画と彫刻 いずれの基礎ともなる素描の重要性を指摘し
同じ土俵にあるものとして 絵画と彫刻の差異をことさらに強調しなかった


大人ですね!(笑)


でも ミケランジェロは

彫刻とは 削りとっていく芸術である

と 絵画にはない彫刻の特徴を シンプルな言葉で強調もしています

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そう まさに彫刻という芸術のポイントは そこだと思うのですよ

ベルニーニは
岩山から切り出された大理石の巨大な塊を前にして

神の導くままに この塊から神の像を掘り出していく と語ったとか

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ダヴィンチが
肉体的労苦のみで石材の粉まみれになる劣ったもの と揶揄した作業こそが
彫刻という芸術の真髄ではないでしょうか?

そして それが出来るのは

キャンバス上で 二次元の平面に三次元の立体を表出させる才能とは異なる
石塊から作品を削りとって生み出していく才能を天から授けられた彫刻家

だと思います


ミケランジェロは こんな印象的な言葉も残しています

私には 大理石の塊の中に天使の姿が見える
私がすることは 彼がそこから解き放たれるまで 石を削っていくことだ

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彼にとって 彫刻家の仕事とは
あらゆる石塊の内に潜む像を 開放することだったのですね

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さて 

絵画の優位性を声高に主張したダヴィンチに対し
敢えて彫刻の優位性を大っぴらに主張することはなかったミケランジェロですが

騎馬像の素描をもとにブロンズ像を作ろうとして
結局できなかったダヴィンチのことを
仲間内であからさまに揶揄することもあったそうで

ダヴィンチとミケランジェロの関係 奥が深そうで
いったいどんなだったのか ちょっと下衆心がくすぐられます(苦笑)


ちなみに ふたりの財産記録をみてみると
ミケランジェロの方が ダヴィンチよりはるかに多くの蓄財があったようで

うーん 金持ち喧嘩せず ということ?(笑)

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つまらないオチになってしまい
ダヴィンチの科学者や芸術家としての純粋さを愛するファンの皆さん
申し訳ありません(笑)



2017.10.02更新

宿命の対決 ダヴィンチ vs. ミケランジェロ

うーん ずいぶんベタな企画をされますなあ(笑) 
三菱一号館美術館さん

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ルネサンスの2大巨匠をライバル関係のコンテクストでとらえるのは
ありそうで なかなか実現できない企画のように思いましたが

そんな風に斜めに構えながらも
書き手はしっかりと 美術館に足を運ぶわけですよ

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はい この企画展を思いつかれたキュレーターさんの勝ち!(笑)

そして この企画だと やっぱり混んでいますね!

それでなくても 訪れたのが終了間際の週だったせいもあり
開館時間には入口に既に列ができていました

この美術館は展示室が狭いところがあるので 混むとキツイ


で ライバル関係をモチーフにした企画展に興味がある人は
当然 どちらかへの思い入れがより強くて
その思いを確認するために 会場に足を運ぶ?(笑)

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書き手は 行く前から ミケランジェロ派!

ダヴィンチは 中学生の頃は尊敬していましたが
ミケランジェロとどちらが好みかと聞かれれば 当然 後者です!

その訳は おいおい語ることとして
ふたりの世界に入っていくことにしましょう


この展覧会がユニークなのは 色彩が施されている作品が少ないこと

ほとんどが素描 デッサンです


書き手は もともとデッサンが大好きですが

絵画制作の出発点であるデッサンには
画家のインスピレーションがダイレクトに反映されるし
また 画家の描き方の個性がプリミティブに顕れる

という解説を読み なるほどね! と とても納得しました


で 最初に展示されているデッサンが

ダヴィンチの自画像 と 
ミケランジェロの「レダと白鳥」の頭部のための習作

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このふたつの作品をじっくり見ていると
ダヴィンチとミケランジェロの違いが よく見えてくるように感じます

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書き手はやはり 右側のミケランジェロのデッサンに魅かれるのですよ

だって 気持ちが伝わってくる感じがするでしょう?



ダヴィンチとミケランジェロは 25歳も年が違います

しかし ふたりはイタリアルネサンス芸術の二大スターとして認識され
周囲はふたりをライバルと見做し
同じ広間の壁画をパート分けして描かせ競わせたりしました

なんと 本人たちの互いに対する意識も かなり強烈なものがあったようです

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でも ふたりの絵画や芸術に対するスタンスは全く異なるから
ライバルとして比較することは 意味がないと思うのですよ

ダヴィンチはクールに ミケランジェロは情熱的に 芸術に取り組んだ

とでも言えるのでしょうか


この企画展の図録の冒頭で
ローマ教皇庁の文化財委員会のお偉いさんが解説されていましたが

ダヴィンチ

フィレンツェにおけるキャリアの出発点で抱いていた
芸術に対する唯美主義や抽象的な精神主義に別れを告げ

現実的な経験を表現するものとして芸術を捉えなおし
やがて 自然科学や発見の追求のために芸術を卒業した人であり

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一方 ミケランジェロ

芸術に 物事の本質を越えた奥深く超越的な探究を求め
そうした美徳 意志 エネルギーといったものを表現しようとした

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つまり

ミケランジェロは 人というものの内面や魂の表現を芸術に求め

ダヴィンチは 自然の中での人間の存在を
科学の一部としての芸術により明らかにしようとした

というのです


で 書き手は 芸術の根本はパッションだと思うのですよ

もちろん
表現を豊かにするためのテクニックとしての自然科学的手法は重要ですが
それが目的となっては 本末転倒のような気がします

だから 正直言って ダヴィンチの絵画の良さが いまひとつわからない

ミケランジェロの作品の方が わかりやすく 共感できる


でも ダヴィンチの芸術の良さも理解できるようになりたい
 
とも思うのですよ

モナリザの謎の微笑みの わけを知りたい?(笑)

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いやはや 何を言っているのか よくわからなくなりましたね(苦笑)

 

 

2017.09.15更新

パウル・クレーの話を続けますが

彼は 音楽と絵画 の両方に強く惹かれていて
音楽の分野で用いられている ポリフォニー というコンセプトを
絵画にも導入しようとしました

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ポリフォニー って なんだ?

ポリフォニーとは もともとは音楽用語で

全く異なる旋律を歌う複数の声が 同時に進行し
それら複数のパートが互いに影響しあうことによって
協和したひとつの曲を形成する

18世紀に生まれた そのような音楽形式を指します


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中世の教会音楽でよく用いられた技法のようで
教会全体を共鳴させるような響きわたる宗教音楽の音響効果は
ポリフォニーに依るところが大きいと言われています

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この技法のポイントは 

複数の異なる動きの音による構成で
それぞれが勝手に自己主張をしながら
その混沌の中で なにか予定調和的なものを創造する

それが 聞く人の心の琴線にうったえるのかもしれません



さて クレーは

自立した複数の主題が同時に存在するのは 音楽に限ったことではない

と語り


最初は 水彩画で透明な色層を重ねていく画法

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やがて 点描と太い線による区切りを用いて
画面の多声性を構成する画法を駆使することにより

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絵画におけるポリフォニー表現を試みたそうです


前回のブログ
こうした画法により 時間の流れを表現しようとしたのではないか
と推測しましたが

展覧会で購入した本を読むと 彼が表現したかったのは

「時間の流れ」 ではなく 「過去と現在の同時性」 だったようです


なるほどです

経時的な流れの中で立ち止まる のではなく
タイムワープするような感覚 意識を 表現したかったのでしょうか?


そして 絵画におけるポリフォニー表現で最も重要なもの

それこそ まさに色彩!

クレー 奥が深いです!

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もうひとつ忘れてならないのが 運動というコンセプト

ポリフォニーで表現したいことのひとつは
世の流れを表す 運動 なのでしょう



複数の主題の同時多発性と相互作用

全体の流れとしての運動


クレーが表現しようとした このようなコンセプトが妙に気にかかるのは

現代社会や科学の主流である 分析主義的なパラダイムに
行き詰まり感を憶えているからかもしれません


書き手のブログでは
度々 木を見て森を見ず という表現が出てきますが

大学で研究をしていた頃も
いつも 分析主義的なパラダイムには疑問を持っていましたし

今 ブログを書きながら 世の中の色々なことについて考えるときも
それは変わりません


分析的なスタンスや手技は 慣れると意外に簡単で
ある意味で 何の疑問もなくその世界に没頭することが出来ます

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一方で

世の中で起こっているさまざまな事象を
包括的に解析したり 俯瞰的に見ることは
想うのは簡単ですが 実際にはなかなか困難です

だけど それをやらないと 根本的な理解はできないのかもしれない


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クレーの作風を詳しく学んで ふと そんな思いを再認識した次第です


そんなこと AIなら簡単にできるのかな?(笑)



2017.09.11更新

パウル・クレー

書き手が若い頃に彼の作品を見て感銘を受けた ご贔屓な画家のひとりです

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ずいぶん前のことですが
竹橋の国立近代美術館で 大々的なクレーの企画展が開かれ 見に行きました

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国立近代美術館
上野の国立西洋美術館や 六本木の国立新美術館に比べると
落ち着いた感じがして とてもお気に入りです

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週末に午後8時まで開いているときは それほど混んでいないので
のんびりと好みの絵画を鑑賞できて 幸せな気分になれます


で あの時のクレー展は

クレーという画家が いかにして絵画表現を創り上げて行ったかに迫る

という明確なコンセプトが貫かれた構成だったので

今まで知ることがなかった クレーの創作過程の一面を知ることができて
とても印象の残る展覧会でした

キュレーターや編集者の存在意義というのは とても大きいと思います


クレーの作品を特徴づけるのは 線と色

画家の仕事というのは
見えているものを 単に描写することではなく
見えていないものを 描き出すことである

クレーの創作に対する姿勢は
彼が語ったそのひとことで 充分に語り尽くしているでしょう


初期の彼の作品では
線のみによって ものごとの本質を抉りだそうとしていて

そうした作品はとても見事で 観る者の琴線にうったえかけるものがあります

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線の本質を運動ととらえ
線の運動こそが 目に見えないものを描き出すことができるという考えは

とても斬新で とても印象深く感じます

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ただ 線だけでも充分に美しいのですが
やはり世の中 何かにつけて 色もないと、、(苦笑)


線のみでものごとの本質を抉りだす域に達したクレーは

チュニジア旅行で色彩に目覚め
その作風を大きく発展させることになります

クレーの作品を特徴づけているもうひとつの特徴は
やはり美しい色遣いでしょう

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個人的に好きなのは 色の展開というか グラディエーションです

線の本質を運動であると捉えていたクレーは

おそらく
色彩の本質も 運動や展開だと考えていたのではないでしょうか?

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水彩の塗り重ねによってグラディエーションを表現することにより
二次元的で静止した画面構成に
光のうつろいとか 時間の流れとか
そうしたものを表現しようとしていたのではないかなと思っています

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そして そうした「色」の展開による表現をより効果的にするのが
実は出発点の「線」にほかならない

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線だけでは物足りないし 色だけでも表現しきれない
色は大切だけれど それだけではダメだよ

ということで クレーの作品がインスパイアしてくれることは
絵画だけでなく 人の生き方にも共通する 意外に奥が深いものでしょうか?

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ところで こんな作品もあるということは
うーん クレーもネコ派だったのかな?(笑)



2017.05.15更新

実は エロオヤジ?

えっ クラーナハのことですよ
書き手のことでは ありませんからね(笑)


回顧展の最後の方に

女のちから 女のたくらみ

というタイトルのコーナーがありました


なんだか すごいタイトルですね(笑)


女のちから 女のたくらみ というのは

クラーナハが生涯 描き続けたテーマで
ドイツ美術では このテーマが描かれることが多いのだそうです

女性の身体的魅力 性的誘惑によって 男が堕落して破滅に至る

うひゃー 大人の世界ですね!


このコーナーで展示されていたのが

英雄ヘラクレスが 女王オンファレにより骨抜きにされ
だらしないデレデレ顔で 女性に取り囲まれているこの作品

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この作品は 女のちからを如実に表現しているのですが

ヘラクレスと距離をおいて 背後の右端に立つ女王オンファレの
見る者を挑発するかのような視線が ポイントなのだそうで

女性の 絵画を見る者を見つめるような ちょっとあやしげな視線が
見る者の欲情を刺激するよう 意図的に描いている

というのです

うーん そんなこと 少なくとも意識下では感じたことはなかったけれど
無意識下では 感じていたのかしらん?(笑)



そして 年老いた男性が 若い美しい豊満な女性を抱き寄せて
うっとりと見つめている「不釣り合いなカップル」

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ジジイの目線がデレデレなのに 女性の目線はとても冷めていて
そのコントラストが 世の中の哀愁を感じさせますが

この絵も 女のたくらみ を表現しているのかもしれません


そして面白かったのが
テレビ番組の ぶらぶら美術・博物館のクラーナハ特番で
コメンテーターの おぎ・やはぎ さんが こんな指摘をしたのですよ

これ 自画像じゃないの?

笑えました!


前回ご紹介したように クラーナハ自身が
画家兼実業家として成功をおさめ 経済的に裕福でもありましたし 

それに加えて 女性が大好きで
自分の理想とする裸体画を描き続けていたオヤジなわけですから

確かに デレッと若い女性を抱き寄せる裕福なオヤジは
クラーナハ自身かもしれません?(笑)


クラーナハ 後世 この作品がそんな評価を受けるなんて
思ってもみなかったかな?(笑)



そして 女のちから 女のたくらみ を締めくくる作品が

この  ユデイット

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いやー この絵は美しかったです!

この回顧展のために
ウイーン美術史美術館での3年間の修復 クリーニングを経たあとで

ビックリする 思わず息を呑むほどの美しさで
作品の前でしばらく動けませんでした


ユデイットがホロフェルネスを誘惑して その首をとってしまう
という かなりショッキングなモチーフな作品なのですが

ホントに美しいのですよ、、、


ユデイットは どちらかというと無表情で
一方 首を切られたホロフェルネスは 恍惚とした表情にも見える

このコントラストが すごい

男を誘惑して滅ぼしてしまう運命の女 ファムファタールの手にかかると
男は最後に こんな表情を示してしまうのでしょうか?

男って せつないですよね?(苦笑)


テレビ番組の日曜美術館のクラーナハ特番では ゲストが

ユデイットの表情は 能面のような表情だ 

と評されていました

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うまい比喩だ! と思いましたね


無表情のように見えますが
でも 得体の知れない妖しさが にじみ出ている


同番組の女性アナウンサーは
女性から見ると 力強さ 心地よさを感じる 
と述べられていて

えーっ そうなの?

女のちから 女のたくらみ って ホント 奥が深いな!
と 書き手はしみじみ思ったわけですよ(苦笑)



ということで クラーナハの回顧展 充分に楽しむことができました

これまでは
変わったヌードを描く画家といったイメージしかありませんでしたが

画家だけでなく実業家としても成功する一方で
ちょっと変態オヤジっぽいエロオヤジでもあった彼の人となりが知れて
とても面白かったです



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