左利き肝臓専門医ブログ

2017.07.07更新

近松門左衛門の名作といえば なんといっても 曽根崎心中

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ナマの文楽で見たい 見たい と思いつつ
いまだに実現できていません

だって すぐにチケットが完売になってしまうのだもの(苦笑)


大阪一の醤油問屋の若き手代で 不条理な借金の返済に窮する徳兵衛
徳兵衛を愛しているのに 他の男に水揚げされそうな遊女のお初

徳兵衛は25歳 お初は21歳

ともに世をはかなんだ愛し合うふたりが 曽根崎の天神の森で心中を果す


このリアル心中事件を見聞きした近松は
わずか1か月で 彼にとって初めての世話物を書き上げ
(世話物は その時代の人々日々の出来事を題材にしたジャンルの浄瑠璃)

竹本義太夫率いる竹本座での公演は大当たり!

以後 名作として 何度も繰り返し上演されたそうです


曽根崎心中は 歌舞伎や映画にもなっているので
ご覧になった方も多いと思いますが

書き手は ホント 文楽で見たい!

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で 最近 近松の人となりを紹介している面白い本を読みました

小野幸恵さんがかかれた 

週刊誌記者 近松門左衛門

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近松は 世話物浄瑠璃の作者として有名ですが
実際に文楽で世話物を書き始めたのは50歳を過ぎてからで

それ以降 新聞の三面記事や
今で言うなら 怪しげな週刊誌で取り上げられるような事件を
実際に自分で取材に行き 自分の眼 感性で事件を把握し

早い筆で あっという間に世話物浄瑠璃を書き上げて
盟友 竹本義太夫に供給していたそうです

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心中事件の一報を聞き 早駕籠で現場に駆けつけ
遺体に掛けられた菰からのぞく 女性の白い足を見て

衝撃を受けた近松が仕事場に取って返して
一気に書き上げたのが
名作 心中・天の網島 だったとか


うーん まさに 事件記者 という感じですね!

近松が そんな風にして世話物を書いていたなんて
全く知りませんでした

ビックリです


それにしても どうして近松は
下卑た心中事件などに 強い興味を持ったのでしょう?

また 心中だけでなく 

前回ご紹介した女殺し油地獄のような
姦通 横領 強盗 殺人などなどの
いわば俗の極みのような事件にも 大いに興味を持って
作品に仕上げていったそうで

何が彼を そうさせたのか とても興味があります


著者の小野さんは

武士の子供として生まれながら 生活のために刀を捨て
生きていくために世俗に埋没せざるを得なかった状況

そして 教養ある公家の人々に奉公するうちに身に付けた深い教養

捨て去り難い武家のプライドと 深い教養の合間に燻ぶり続けた
近松の ある種のエキセントリックな情念が

曽根崎の心中事件を契機にして 堰を切ったようにあふれだしたのでは?

と 推察されています

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そして 人間の本質を克明に描くことで
俗を俗に終わらせず 文学の高みにまで昇華させ

彼が題材として取り上げた リアル事件の俗が持つ普遍性ゆえに
日本人独特の感性に強く訴えかけ
名作として大人気を博し後世まで残り続けたのであろう

と 考えられます


近松は 芸について

芸というものは 実と虚との皮膜の間にあるもの也
虚にして虚にあらず 実にして実にあらず
この間に慰みがあったもの也

と語っていたそうです

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なるほどねえ

近松が 東洋のシェイクスピアと称される理由は
そんなところにもあるのかもしれません


それにしても そんな近松の世話物を産んだ大阪
濃いですね!

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やっぱり 曽根崎心中を見るのは
大阪の国立文楽劇場じゃないとダメでしょうか?



2017.07.03更新

やくざな放蕩息子が勘当されて 花道で見得を切る

パパンッと拍子木の音が響くと
そこに間髪入れずに 高麗屋! の掛け声

さらに絶妙のタイミングで
七代目! と別の場所から掛け声が続く


あの観客席からかかる掛け声は
芝居小屋のなかに一種独特の雰囲気を醸し出して なかなか良いものです

声の音色 イントネーションがまた渋くてね

オペラやバレエの会場で聞こえるブラボーよりも
数段手慣れているように思います

日本人のDNAですね(笑)


最近は 歌舞伎も文楽も見に行けていませんが
数年前に見に行った 歌舞伎の 女殺し油地獄 が
書き手にとっての 近松門左衛門の世話物 デビューでした

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女殺油地獄

それにしても 凄いタイトルです!(笑)

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門左衛門さんが 脂の乗り切った晩年に

ヤクザ者の放蕩息子が 昔馴染みの油屋の若女房を金目当てに殺した
という実際にあった事件をネタに書いた作品だそうで

油屋で油にまみれながら女を殺すシーンがウリですが

うーん 正直言って
その場面は それほど感動しなかったかな(笑)

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この作品 主人公の与兵衛があまりに残忍非道で
江戸時代では考えられないようなキャラクターだったためか
当時はさんざんな不評で すぐにお蔵入りになったそうで

大衆が 近松のセンスに追いついていけなかった

とも言われているそうです


明治の世になって 再評価されましたが
むしろ今のご時世では こんなキャラはごく普通なので?(苦笑)
逆に近松の時代を先取りする先見性が見直される契機になったとか

さて この現象 どう評価したらいいのでしょう?(再苦笑)


ヤクザものの与兵衛を演じ切ったのは 染五郎

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彼のお育ちの良さが この役を演じるのに邪魔になるかな
と邪推していましたが

あにはからんや 品のあるワルも意外に良いものです


品の良さと弱さは 表裏一体のようなところがある と思いますが

それが 与兵衛が内面に抱える弱さの表現に
うまく生かされていたような気がしました

ちなみに 惨殺されるお吉を演じたのは
猿之助を襲名する少し前の亀治郎

亀治郎 意外に色気のある女形を演じるものだと思ったのが
印象に残っています

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さて 近松の世話物の世界

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正直言って のめり込むほど素晴らしいとは思いませんが
一定の抗し難い魅力があることは 間違いありません

最近 その近松の人となりを描いた 面白い本を読みましたので
次回ご紹介したいと思います



2017.03.27更新

書き手が能を観て感じたことを つらつらと書いてきましたが

最後に
その道のプロが 能の神髄について語られていることを
ご紹介したいと思います


能の創始者である 観阿弥・世阿弥の血をひく

観世流 第26代家元 観世清和さん

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この方が「能はこんなに面白い」という本を出版され
初心者にもわかりやすいように
平易な言葉で 能について語られています

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能の解説書は難解な傾向がありますから(苦笑)
こうした解説は貴重です



<複式夢幻能>

世阿弥が考案した 二部構成の舞台形式
この独特の形式により 夢の世界が展開されます

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前段では

まず諸国一見の旅の僧がワキとして登場

とある土地に到着して
その地方にまつわる物語などを思いだし 語ります

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そこにいわくありげな人が通りかかり
僧に向い その土地の由来や物語を語り

自分こそが
そこに描かれた当の主人公であることを明かして
消えてゆきます

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後段では

僧が宿に着き 疲れて眠りにつくと

前段で登場した人が
生前の立派できらびやかな姿で現れます

この方がシテ
過去のいきさつを語り 情念たっぷりに舞を舞い

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そして 僧侶に供養を頼みながら消えていきます


僧はそこで目を覚まし
今見たものは全て夢であり
自分はひとりそこに残されていることに気付くのです

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これが 能の舞台の形式です



<死者や幽霊が主人公の演劇>

能の多くは 無念の物語です


成仏できない者が 無念を語ることが多く

シテが演ずるのは

志なかばに倒れた者 思いを残して世を去った者 虐げられて葬られた者

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既にこの世を去った者が
生前の輝かしい姿で 再びこの世の人の前に現れる機会を与えられ

私はこのように生きた ということを示し

私を忘れないでくれ とメッセージを残して 消える

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こういう劇的な展開は
複式夢幻能という形式を持ったからこそできるもので

これが 日本人の心に深く共鳴するとされます


つまり 能とは 

鎮魂の芸能 生命の賛歌 

弱者の声に耳を傾け
かつて彼等が生きた時代をひととき舞台の上に甦らせ
その生命の輝きを讃える

そして 亡き者の悲しみを鎮め
明日への力となり 常に人の心に寄り添う


こうした 亡き者の供養 追善供養の心は
日本人の心の原点であり 日本人の心の優しさの表現でもある

だからこそ 日本人は能を観て共感できるのではないかと
清和さんは語られます

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しかし シテは また苦しい冥界に戻っていきます

彼等の苦しみを共感し 供養することはできますが
その苦しみを解決する手立ては 何も示されないのです

書き手は この点も 能の大きな特徴だと思います


能は 不条理劇かもしれません

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学生時代に カミュのシジフォスの神話を読んで以来
ちょっと不条理フェチの書き手は(苦笑)

だからこそ 人は能に魅かれるのでは? と感じています

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<省略を美とする演劇>

能の特徴は 全てが極限まで省略されていること
だそうです


舞台装置 役者の所作 舞の型

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その全てから 

具象的なものを徹底して捨て去ることで
舞台上に純粋な情念の世界を表出する

ことを 意図しているそうで

絵画で言えば 具象画でなく抽象画の世界です

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省略し 余白を作り そして余白に語らせる

そうした余白を
作者と鑑賞者が想像力の限りを尽くして 完成させる

ここも 能ならではの 大きな特徴なのでしょう


日本文化は 余白に語らせる文化であることは
以前に扇子のお話で紹介しましたが

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さらに加えて
能の舞台が 役者と観衆の双方向性により成り立っていること

これも大きなポイントだと思います

余白があり 抽象だからこそ
観る者に解釈の余地が与えられ 心情的に舞台にコミットできる

面白いですね



共演者と合わせるという発想がないことも
能の大きな特徴だそうです

合わせようとすれば
表現に余計な要素が入り込んでしまうので

互いの表現に意識を向けてはいるが 合わせようという配慮はない


それぞれが表現をぶつけ合い そこから新たな世界が創造される

そして 微妙なズレが味となり 表現の豊かな奥行になる


なるほどです~

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役者だけでなく 地謡方や囃子方も 合わせません

指揮者は存在しませんから
他の謡てや奏者の 呼吸 気 息を五感で受け止めて
それに応えて 歌や演奏を行っていく

うーん ちょっと難しい世界のようにも感じます(苦笑)



省略によって生まれた余白

敢えて合わせようとしないことにより生まれたわずかなズレ


能はそれらに美を見出し それこそが日本の美意識であり

役者は内在するエネルギー 内に込めた心の力をもって演じる

のだそうです



うーん

良く言えば 奥が深い

意地悪な言い方をすれば
抽象的すぎて 難しくてよくわからない

でも 何回か経験すると
また観に行きたくなってしまうのですよ

不思議なものです(笑)



そういえば

この4月に銀座4丁目にオープンする
松坂屋のあとに建てられたGINZA SIXのなかに
観世能楽堂が出来るそうで

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東中野の能楽堂も 雰囲気があって良かったのですが
銀座に出来てくれると近くて便利なので
観に行く機会が増えるかなと ちょっと期待しています

でも 開場記念公演の”翁”は
あっという間にチケットが売り切れで 行けませんでした(苦笑)


能は未体験の読み手の方がおられたら
あの不思議な雰囲気をナマで経験されることを お勧めします!



2017.03.20更新

能の面とシテのアゴのお話をしましたが

能の大きな特色のひとつである の話題を欠いては 片手落ちですね

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新進気鋭の能楽者の武田祥照(よしてる)さんの講演会でも
女性の能面(業界ではオモテと呼びます)の話題が出ましたが

実は書き手には 女性の能面にまつわる思い出話があります


今でこそ偏屈な書き手ですが 小さい頃はそれなりに純真でした?(笑)

幼稚園の頃 両親の寝室でひとり遊びしていた悪ガキは
いつしか遊びに疲れて 昼寝を貪っていました

ふと気がついて目を覚ますと 周囲はすでに薄暗くて 誰もいない


ぼんやりとした感覚 焦点が定まらない視線

そんなシュールな状況で
悪ガキの視界に飛び込んできたのが

壁に飾ってあった 若い女性の能面でした

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そこで悪ガキが直感的に抱いた感情は

美しい、、という恍惚感、、、、

ではなく 

とてつもない恐怖! でした

冷たくて無表情の能面に見据えられ ただ ひたすら怖い!


突然 悪ガキが大泣きしている声が家中に響き渡り
何事かと心配した家族が部屋に入ってみると

壁の能面を指差して しゃくりあげながら大泣きしている
普段は生意気なガキがいて

それを見て大笑いしている家族の姿を見て ガキはさらに大声で泣く

そんな狂言のような光景が 繰り広げられたのでした(笑)



ちなみに 純真な悪ガキを泣かせた面の名前は 万媚(まんび)

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凄い名前です


百や千の媚にも勝るという意味の名前の このお面は

若い女性が有する 自分でも制御できない情念のような想い
その存在に気付き戸惑う乙女心と

そんな情念を凌駕するに至った 成熟した女性の艶

その両方を 目元や口元に表現しているそうです


大人になってから 能装束展で 再び万媚を見る機会がありましたが
そう言われて観ると
無表情に見える目元や口元が 確かに何かを語っているようにも見えて

しばらく時間を忘れて 面の前で立ち続けていました


さすがに書き手も少しは大人になったようで
そのときは幼少時のように 万媚を見て泣くことはありませんでしたが

男は 子供の頃に泣かされた万媚に 大人になっても泣かされる?

げに恐ろしきは、、、


あ こんなことを書くと 多方面から非難がきそうですね(苦笑)



ちなみに 女性の面の話題だけではつまらないので
男性の面のエピソードも紹介しますが

能が流行り始めた頃 世間では秘かな男色ブームだったそうで

大喝食(おおかっしき) 小喝食(こかっしき)と呼ばれる
前髪ふさふさの少年の面は

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特にそちらの世界で 大人気だったそうです

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いやー 能面の世界が LGBTの先取りをしていたなんて
さすが能は奥が深いです?


さて 幽玄の美を語るべきなのに
こんなふざけたオチでは申し訳ないので
最後に少し真面目なお話を


実際に能を舞われる方のお話を聞くと

面を掛けるという行為は
役者さんが ひとり自分の意識下に入っていくために重要だそうで

面を掛けると視野が極端に狭くなることもあり

そうすると 自分の主体性を維持することが困難になり
面に身を託すという気持ちになるそうです


そして 面を掛けるときに
こめかみのあたりで紐をしめて固定するそうですが

この行為により ある種のトランス状態に入り
能舞台という 非日常の世界に入り込んでいけるのだそうです


そうか 面を掛けるという行為には そういう意味合いがあるのですね


さらに 前回ご紹介したように

面を掛ける位置を上げて
面の下部と役者さんのリアル顎とのコントラストを示して
面と役者さんとの一体感を強調する


うーん やっぱり 能の世界は奥が深いです、、、(苦笑)



 

2017.03.13更新

初めて能をナマで観たとき
囃子方や地謡方の迫力に度肝を抜かれたことは お話ししましたが

何回か観ていると ストーリー展開のパターンがつかめてきます


簡単に説明すると

まずワキが登場して 物語の背景 シテの素性などについて語り

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ついでシテが登場して 思いのたけを語る

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既にご説明したように

シテの多くは 神 鬼 亡霊などで
この世に未練をもっているため その思いはなかなか濃いです

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そしてシテは 語るだけでは満足できず 舞い始めます

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この舞いが お能鑑賞の大きなポイントのひとつだと思います

舞は能の華 少なくとも素人目にはそう感じます


シテがワキに対し 自らの素性や物語の背景を語る前半部は
彼等が語るのが由緒正しい日本語なので 往々にしてついて行けず

しかも シテもワキも舞台の上で微動だにせず 淡々と時間が流れるので
ついつい舟を漕いでしまいます(苦笑)


でも お話の後半 シテが自らの想いを込めて舞いはじめる頃は
ちょうど心地よい眠りから目覚めたあとで
妙に頭もリフレッシュされているためか

集中して舞に見入ることができます(再苦笑)



舞の特徴は 眼を使うな 手を使うな 足はときどき使え だそうで

バレエや芝居などの これまで観てきた舞台パフォーマンスでは
考えられない表現方式です

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通常 多くのダンスやパフォーマンスでは
眼の周りに華美な化粧を施して 表情がより際立つようにしたり

体幹をくねらせたり
手先や指先を特徴的に過剰に動かしたり 脚を高く跳ねあげたり

そうした所作により 感情を表現することが多いですが


能では 面(ツラ )をかぶっているので 全く表情は読めない

常に中腰 やや前傾の姿勢なので 身体全体の動きが非常に乏しい

そして何より印象的なのが
手元 指先が装束の袖の中に隠されているため 手や指先の表情も読めない

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舞台の四分の一ほどの狭い空間で
ゆっくりと 大きく 単調な所作を繰り返し

ときおり お囃子の音色やリズムに合わせて

装束の袖を大きく翻させたり
足で音を立てて強く舞台を踏んだりするのが

唯一 動きが目立つ所作です

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そして 足の運びは常に摺り足で
膝が上下することはほとんどありません


このような これまで観たことがない動きで
主人公の 悲しみ せつなさ 怨念 そうした深い情動を表現します

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顔も 手も 指先も 体幹も
全てが無表情で動きが乏しいにもかかわらず

不思議なことに これが何故か 
観ているうちに引き込まれるのですよ(笑)


逆に これだけ表情や動きを消しているので

いったい何を表現しているのだろう 何を表現したいのだろうと
観る者をして 考えさせる 想像させる

能の舞いには そうした効果もあるのかもしれません


無駄な表現をしないことで かえって存分に情念を表現する

これこそが お能の哲学やコンセプトかなと
終盤の舞いを観ながら思います


能を観る経験を何回か重ねていくと

多くの演目で 物語の進行パターンが似通っていることに気付き
舞いの仕草も似通っているように感じるのですが

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でも見飽きないというか 半年に一度くらいはまた観たくなる

不思議なものです(笑)



2017.03.06更新

能を観たときの体験談をお話していますが

とにかく美しい!

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初めてリアルで 女性のシテの姿を見た印象は 
その一言に尽きました


色鮮やかな装束を身に纏い 白い能面を付け
舞台中央で やや前傾姿勢ですっくと立ち尽すその姿

まさに 美しい のひとことで

言葉を失い 思わず口が開いてしまいそうでした

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それと ナマで観て初めて感じたことですが 意外にスタイルが良い!

装束はややコテコテ系なので もったりとした印象は拭えませんが
立ち姿はとても均整がとれていて
全身が まさにモデルのような すらりとした八頭身スタイルに見える

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これは予想外だったので とてもびっくりしました


それから 能装束が美しいのですよ

以前 能装束展を見に行ったことがありますが
唐織(からおり)縫箔(ぬいはく)と呼ばれる女性の上着は

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量感のある生地に
鮮やかな色の刺繍や金銀がちりばめられた模様がほどこされ
息をのむほどの美しさでした

シンプルな力強さ 秘めたる自己主張の強さ のようなものも感じられます

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能は 余計なものをできるだけ削ぎ落して
幽玄の美の世界を表現する

と言われますが

能装束は そうした美感の表現にまさに適しているようにも思いました



さて うーん これは凄いと思いながら
オペラやバレエを観に行く時の習慣で
ごく自然に持ってきたオペラグラスに手を伸ばしましたが

ふと気がついてまわりを見渡すと
オペラグラスを使っている人なんて誰もいません!


まあね 確かに
無表情をもって演じるのを良し とされる舞台の鑑賞に
オペラグラスは不要だったかもしれません(苦笑)

でも 能面や装束の細部を観たいという衝動に勝てず
グラス越しに覗くと 眼に飛び込んできたのは

白い能面の下にひろがる ちょっとたるんで見える肌色の顎と首筋

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ええーっ!(笑)

そうか 遠くから美しい八頭身スタイルに見えたのは 
面が小さかったから?

そこで初めてトリックに気がついたわけですが(苦笑)

これぞ ナマ鑑賞でしか味わうことができない醍醐味です?(笑)


うーん 能役者たるもの
テレビCMに出てこられる某美容クリニックの院長先生のように
歳をとっても顎のラインのお手入れをきちんと行っておかないと?

などと フトドキモノは感じましたが(苦笑)


ところが 舞台になじんでくるうちに

面の下にたるんで見えるリアル顎と面のハーモニーが
妙に一体化した 美しいラインに見えてくるので不思議です



これは ウケを狙ったオチではなくて

実は能面は 観る者にそうした印象を与えることを目的に
実際の顔よりも小さく作られているそうで

役者さんのナマアゴが見えることで
能面はシテの身体と一体化した印象を与えることをができる

敢えてそこを狙っているそうで

そうすると
能面にさまざまな表情が見えてくるようになる

えーっ そんなことまで計算づくなの?


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特に 江戸時代以降に
面を掛ける位置が顔の上の方に少しずれてきて
このような”面アゴ効果”が強調されるようになったそうです


うーん やっぱり 能は奥が深いです!!

 

2017.02.27更新

うーん いったい 何語を喋っているのかな、、、

お能の一般的な演目では
まずワキが登場して 自己紹介してから
続いてシテが登場して やりとりが始まりますが

初めてお能を観たとき

舞台上でシテとワキが語り合う内容が ほとんど把握できませんでした

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彼らが語っているのは 英語でもフランス語でもイタリア語でもなく
れっきとした日本語のはずです

でも ときどき言葉の切れ端を認識することができるものの
哀しいかな ふたりの会話の内容をフォローすることは
とてもできません

前もってプログラムであらすじを読んでいたので
多分こんなことを語り合っているのだろうな、、と想像する程度です


そんな状況だと ついつい舞台以外の
まわりの観客の様子にも眼が行ってしまいます

客席の照明はオペラやバレエに比べると明るいので 充分観察可能です


で ちらちらと見ていると

膝の上にテキストのようなものを開いて
舞台とそのテキストを交互にみられている観客が少なくありません

前の席に座られていた 白髪の品の良い感じの和服のおばさまは
携帯式のルーペを用いて テキストをご覧になっていました

何なのかなと興味を持って
ルーペで拡大された部分をこっそり覗き込むと

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うーん これはお経ですか?(笑)


皆さんがみられていたのは
謡本(うたいぼん)と呼ばれる 台本のようなものでした

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そういえば メサイアなどのオラトリオコンサートでも
会場入口で歌詞の翻訳が配られていて
それをめくりながら 英語やドイツ語で歌われている内容を確認しますが

能の舞台は 日本語にもかかわらず
謡本があった方が 舟を漕がずにすみます(苦笑)


うん? 書き手が入口でもらい忘れたのかな と不思議に思っていたら

幕間にロビーにあった本屋さんで
謡本が売られているのを発見しました

あれは入口で配られるものでなく
皆さん わざわざお家から持参されていたのですね


謡本のデザインは純和風で
和紙が糸で綴られていて ほんのりとお香のようなよい香りもします

客席に漂っていたのは この謡本の香りだったのかと納得です


さっそく書き手も購入して なかをのぞいてみると
縦書きに(当り前か:笑)謡われる詞章が書かれており

上方の余白には 舞台でのシテの様子のイラストなども描かれていて
これはまさに台本ですね

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で 気がついたのが
テキストの横に振り仮名のように記されている ゴミのようなしるし

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これは何かなと思って 家に帰って調べてみたら

この記号は ゴマと呼ばれる音符のようなもの

これが付いている部分は謡で
謡の抑揚や旋律を表しているそうで

ゴマが付いていないところは セリフだそうです


なるほど オラトリオの歌詞対照表よりも よほど親切です
実際のお稽古のときも この謡本がテキストになるのでしょうね


それにしても 独特の世界です


書き手はその後 お能を観る際は
売店でその日の演目の謡本を 事前に買うようにしていますが

膝の上に謡本を開いていると なんとなくツウになった気分?(苦笑)


ちなみにお値段は バレエのパンフレットと同じくらいです
高いのか安いのかよくわかりません(笑)


さて 最後にクイズ

下のテキストの 1行目の最後 
上り の下に書かれている文字は 何と読むでしょう?

もちろん 書き手は知りませんでした(苦笑)

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答えは そうろう・候

ほとんどのセリフの最後につけられます


拙者 このお話のワキを務める修行僧にて という感じ

候の字がくずされて
この記号のようになったものと思われ そうろう(笑)


この そうろう

役者さんによって 微妙にイントネーションが異なっていて
それを聞き比べるのも 何気に面白いのですよ(笑)



2017.02.20更新

能をナマでご覧になったことがない読み手の方もおられるでしょうから
能舞台 お囃子 地謡 について解説します


正面の観客席から舞台を見ると 
四隅に目付柱と呼ばれる柱が経つ 正方形の空間・舞台があります

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舞台の上には 茅葺の屋根がかぶさり

舞台の奥には
楽器演奏を担当する囃子方が座る後座があり

その背面には
鏡板と呼ばれる 1本の大きな老松が描かれている塀がおかれ

舞台の右端には 地謡方が座る地謡座があります


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まだ誰もいない開演前の舞台は

何も飾り気のない とてもシンプルな空間で
鏡板の老松が やたらに目立ちます

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舞台の左側奥には 橋掛りと呼ばれる廊下のような通路があり
(写真の橋掛りを進んだ先に舞台があります)

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能役者は 左端の揚幕と呼ばれる 色のついた幕がかかる
鏡の間(控室)と舞台を隔てる出入り口から登場して

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橋掛りを静々と  舞台に進んでいきます 

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能の基本となるコンセプトは

観る者に「本質」を感じてもらうために
いかに余分なものを削ぎ落として表現するか

ということですから
まさに そのコンセプトに似合ったシンプルな舞台空間

お芝居やオペラやバレエの大掛かりで派手な舞台装置を見慣れていると

このシンプルで飾り気のない能舞台を見ただけで
なんとなく違和感を覚えるというか
荘厳な未知の世界に入っていく期待感があります


やがて 舞台奥右手の切戸口と呼ばれる引き戸のついた 
腰をかがめないと出入りができないような低い出入り口から

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地謡方が入ってこられ 地謡座に整列して正座され

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揚幕からは楽器を手にした囃子方が入ってこられ
後座の位置につかれ

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役者が登場するのを待ちます


能役者は シテワキ 

この呼び名を聞かれたことがある方も多いと思います


シテ
は主役

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能面をかけて
(面はつけるのではなくて かける 武田さんの講義をご参照ください)
物語のメインストーリーを語り 舞います


ワキ
は  シテの語りや舞を誘導するバイプレーヤー

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(舞台右端に立つ 僧侶の姿をした役者さんがワキ)

最初に登場して物語の背景を語り 
シテが登場してくると 質問するような形式で シテに語らせ始めます


シテが演ずるのは 神 鬼 亡霊  など
 
多くはこの世に未練をもっていて その思いを語り演じ舞います

ワキは旅の途中の僧侶が多い
現実の世界から シテが演ずる幽玄の世界を導きだします



そして 囃子方地謡方が 
シテが演ずる幽玄の世界を盛り上げます


書き手が初めて能を観たとき いちばん印象に残ったのが

囃子方の 太鼓と小鼓

囃子方は大鼓 小鼓 能管 太鼓からなりますが

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なかでも大
鼓と小鼓は

イヨーッ ハアー といった 意外なほど大きな掛け声とともに

バシッ と切れ味のよい音が響いて

本当にとても印象的でした

特に 鼓をたたく音の響きが凄い

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そこに 空間を引き裂くような鋭い笛の音色が加わると
より一層 引き締まった雰囲気が醸し出されます



そして 囃子方が奏でる調べに 厚みを増していくような地謡

野太い男性の声の ちょっとしわがれたような響きなのですが
何人もの声が重なっていくと 妙に迫力があるのですよ


役者がいなくても 囃子方と地謡方が奏でる世界が広がるだけで
舞台の上の空気が張りつめていくような感じがします

これは テレビを観ていては感じることができない
ナマで舞台を観ないと味わえない雰囲気です


繰り返しになりますが
書き手は初めてナマで能を観たとき

囃子と謡が とてもとても印象に残りました

役者さんの演技や舞よりも よほどインパクトが強かった


今でも時々 あの イヨーッ ハアー ピシッ という響きや
日本語なのに 気をつけて聞かないと日本語と認識できないような
独特の節回しの地謡を

ナマで聞きたくなってしまうのですよ(笑)



2017.02.13更新

ときどき 能を観たくなります

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でも 能は公演そのものが多くないし
開演時間が早く仕事終了後だと間に合わないことも多いので
なかなかナマで観られるチャンスがありません


しかし 最近読んだ本を書かれていた 
観世流宗家の観世清和さんが舞われるプログラムを発見し

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日曜午後の公演だったので 観に行くことができました


場所は東中野にある 梅若能楽学院会館

観世流と言えば 何年か前に 
渋谷の東急のすぐ裏にある観世能楽堂にうかがったことがありますが
あそこは今年に閉館になったのですね

とても静かで雰囲気の良い落ち着いた環境だったので 残念な気がします

それにともない 観世会の定期能は 
今は東中野の梅若能楽学院会館で開催されているようです

初めてうかがいましたが ちょっと場所がわかりにくかった(笑)

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閑静な住宅街のど真ん中で迷子になり
お散歩をされていた近所の方に教えていただきました


これまで行ったことがある能楽堂と言えば

千駄ヶ谷の国立能楽堂
松濤の観世能楽堂
渋谷のセルリアンタワー能楽堂

ナマの能は これまでの人生で 10回も観ていません


で 梅若能楽学院会館は
これまでに行ったどの能楽堂よりも こじんまりとしていて

プライベートなお稽古場 といった雰囲気があり
ちょっとびっくりしましたが 
それはそれでなかなか良いものです

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さすがに客層の年齢は高い

これも驚きでした
品の良さそうな 着物姿の年配のご婦人がとても多い

ロビーを歩いていて 他の方と少し体が触れてしまったとき
すごく丁寧なお詫びの言葉をかけられて

この中ではまだ若輩の無作法者は 面食らいましたよ(苦笑)

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ロビーには 能楽関係の品物を扱う小さな売店があるだけで
食事や飲みものは売られておらず お茶碗でお茶がふるまわれています

うーん 独特な雰囲気で 初めて来た者はちょっと萎縮してしまいます(苦笑)

お客さん同士が知り合いの方々がとても多いようで
あちこちで お久しぶりでございます といったやり取りがされていています


それもそのはず

プログラムの裏面を見ると
席の多くが年10回公演の区画会員席になっていて

正面だと1回1万円 脇正面だと1回5500円のお値段の
いわばシーズンチケット制になっているようです

書き手はネットでチケットを購入しましたが 
購入できる席がすごく限られていたのは そういう理由だったのですね


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だからお客さん同士は知り合いが多いのかと納得しましたが

うーん 正直言って
一見さんにはちょっと馴染みにくい雰囲気かも(苦笑)


実際に場内に入ってみると まさにお稽古場の雰囲気

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派手さはなくて 少し古びた感じがしますが

場内の能舞台の反対側にある壁の高い位置に設けられた窓から
午後の西日が舞台に向けて差し込んでいます

その光が これから始まる夢幻の世界の演出に一役買っているようです


座席数も適度に少なく なんとなく良い雰囲気です

座席の列の表示が いろは順になっているのも
能楽堂ならではでしょうか(笑)

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そんな場内の雰囲気を楽しみながら 開演を待ちました



 

2016.11.07更新

GOEMON

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第2幕は

秀吉により強制的に帰国させられたGOEMONの父のカルデロン神父が
故郷のアンダルシアで 日本に残してきた息子を思いながら
バールで酒浸るシーンからはじまります

ここで登場するのが なんと フラメンコ!

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しかも歌い手のカンテは 本場のスペイン人で
こぶしが存分にまわります(笑)

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えっ! と ちょっと唐突な感がなきにしもあらずでしたが

酒におぼれる失意の父の夢に登場する 懐かしき我が子と
ふたりで情念たっぷりに踊るフラメンコは なかなか見応えがありました

あの子役さん スゴイ!


でも どうして歌舞伎にフラメンコなの?

と 不思議に思われる方が多いことでしょうが

プログラムを見ると このお芝居の原作者の水口一夫さんも 愛之助さんも

フラメンコも日本舞踊も 腰を落として足拍子をとるところが似ているし
魂の叫びであるフラメンコも 歌舞伎の元祖・出雲の阿国の念仏踊りも
民衆の喜怒哀楽を表現するという点で 大きな共通点がある

と 語られています

なるほど~ 大衆芸能のルーツには アナロジーがあるということですね



そして そのあと

舞台の上手に義太夫語りと三味線弾き 下手にカンテとギター奏者が相対し
悲しみにくれる父親の胸の内を 切々と歌と旋律で表現した場面は
なかなかの白眉でした!

義太夫語りとフラメンコのカンテのコラボレーションなんて
よくぞ思いついたものですが

三味線とギターのしらべが 妙にクロスオーバーするところがあり
とても興味深かった

以前に見た 日舞とバレエのコラボレーションを思いだしました


こういう 異文化の伝統芸能のコラボは 面白いと思います



さらに 新興勢力の台頭で人気に陰りが出てきたことに悩む阿国
GOEMONが父親伝来の魂の踊りフラメンコを伝授し
ふたりでステップを踏みながら練習する場面に つながっていきます

そうか阿国の念仏踊りには
フラメンコの要素が隠し味に仕込まれていたわけね?(笑)

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このあとの念仏踊りの場面では女性ダンサー達も登場します

阿国を演じる女形とホンモノの女性が混じって踊る光景は
女形がいかに女性の動きの特徴を強調しているかがよくわかって
面白かった



そしていよいよ 終盤へ

GOEMON が見得を切る 有名な南禅寺の山門のシーン

ここの演出が 書き手にはとても印象的でした


メタルパイプで構成された舞台装置が
GOEMONを載せながら 後ろから前へと回転しながらせり上がってきて

正面を向いたところで
パイプにつけられた照明から 客席に向って強烈なライトが発せられ
眩しいほどの光の束が 一斉に客席に投げかけられます

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そして 一呼吸おいて
GOEMONの 絶景かな の見得が始まります


これには びっくり!

書き手がご贔屓の ロックオペラ
ジーザスクライスト・スーパースターの舞台を彷彿させます!

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まさか歌舞伎でこんな光景を見るなんて 予想だにしていませんでした

ビックリしたし プチ感動もしました



さらに秀吉の追手と GOEMON 阿国らによる追走バトル

なんと追手もGOEMON達も 1階席 2階席の通路をかけずり回り
しかもありとあらゆる客席出入り口から
神出鬼没に出たり引っ込んだり

書き手が座る席のすぐ脇を
GOEMONもお国も追手も 風のように駆け抜けていきました

この演出は理屈抜きでホントに面白い!

外連は こうでないとね!


さらに 追手を蹴散らすのは 阿国の弟子たちのフラメンコの群舞

さっき着物姿で念仏踊りを舞っていた女性たちが
今度は妖艶なドレス姿でフラメンコを舞い 追手たちを圧倒します


本当に これでもか! とばかりに 
次から次へと予想外の突拍子もない演出が押し寄せると

感覚がマヒしてきます(笑)



そしそしてクライマックスは

GOEMONが 友の化身の鳥にまたがり 父が待つエスパニアに旅立つ
今日2回目の宙乗り

さぁらばあ~ ふ~るさ~とよ~

そんなセリフとともに
1階から3階までの多くのお客さんに
空中から 艶っぽいアイコンタクトを投げかけながら

愛之助さんは 3階客席奥に 颯爽に消えていきました

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GOEMONは エスパニアに無事にたどりつくのだろうか?
むこうで どんな活躍をするのだろう?

愛之助さんの後ろ姿を見上げながら ふと そんなことを思いましたが



プログラムの中で 愛之助さんは

歌舞伎というお芝居は 観ている方の想像力を膨らませるもの

と 語られていましたが
まさに愛之助さんの思うつぼの反応をしてしまいました(笑)


それにしても 

面白ければ それで良いでしょう?

かぶく とは そういうことなのですね

はい 充分に堪能させていただきました


もちろん カーテンコールでは
客席は全員 スタンデイングオベーション!

お隣に座りの方からも 面白かった とご評価いただき
ちょっとホッとしました(笑)



そうそう 舞台が始まる前に
とても背が高いスタイルの良い和服姿の女性が
客席最前列や桟敷席のお客さんにご挨拶されていましたが

なんと 愛之助さんの新妻
梨園の妻デビューの 藤原紀香さんでした

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ナマ紀香さん 初めて拝見しましたが 小顔で背が高くてびっくり

愛之助さんとは ノミの夫婦ですね!(笑)


タニマチと間違えられたことがある書き手には 
当然 ご挨拶は ありませんでした(笑)



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