何回かに分けてご紹介した
「ネコ型社会」のお話の最後に

筆者の太田肇さんは 
同志社の先生らしく
京都とネコ型社会について 
面白い論理を展開されます

京都人は
婉曲な表現をし 
本音と建前を使い分け 
排他的であると
世間一般から見做されていて

(勧められたぶぶ漬けを
 ホントに食べちゃう人はいるのかな?:笑)

ぶぶ漬けを勧める京都の人の姿

日本の伝統を絵に描いたような文化なので
さぞかしイヌ型社会かと思いきや

実は 
京都は日本では珍しいネコ型社会を
形成しているそうで

ネコ好きの割合が日本で最も高く
70%を超えているとか!

猫をかわいがる舞妓さんの姿


筆者はその理由を列挙していかれますが

まず 遊びが
京都の独自性と強みになっていると指摘されます

芸子遊び

蹴鞠 独楽回し 双六

映画発祥の地であり
フォークソング ライブハウスが盛ん

遊びが 
京都の芸術や文化の中に浸透しているのです

芸子遊びに興じる人たちの姿

これまで何回か言及されたように
遊びは創造・革新性の原点でもあり

京都に研究開発型 
技術集約型の企業群が多く
ベンチャー企業が育っているのも
京都人の遊び心の賜物だと指摘されます

また 京都では
遊びの精神から生まれた
職人の繊細な感覚と技能も
高い評価を得ています

職人さんが仕事をしている姿

では 
放っておけばイヌ型社会になりやすい
日本の風土で
京都はどのようにして 
ネコ型社会を形成できたのでしょう?

そもそも日本社会がイヌ型になった理由は? 
というと

外国からの人の出入りが少なく
民族的にも均一で 
価値観も均一である

減点評価 ミスをしない 
和を乱さないことが
秀でた能力や業績 自発性 積極性より評価され
突出することを避けようとする文化がある

ゼロサム型社会

食糧 資源などが限られているので
誰か得をすれば 
誰か損をする

ポストも限られているので
出世したければ 
仲間の足を引っ張るしかない

という現実

したがって
モノもカネも地位も 
固定されたメンバーで奪い合う
ホッブスの言う「万人による闘争状態」になりがちで

そうならないために
人々をイヌ化して飼いならす社会が
必要となりました

領土争いをしながら
民族間の争いを繰り返してきた欧米とは
対照的です

列を作り行儀よく順番を待つ犬たちの姿

こうした状況は 
京都でも同じだと思います

さらに 
京都は地理的に閉鎖的な環境にあります

ずっと京都に住む人が多く
企業も本社を敢えて東京に移さない
(大阪とは対照的だそうな)

閉鎖性は 独自の歴史 文化を生みます

*三代住まないと 
 京都人と認めてもらえない

*一見さんお断り

*京都人にしかわからない慣習が多い

よくテレビ番組などで揶揄される
京都の”むつかしい”ところですね(笑)

京都の”むつかしい”ところを示した図

こう考えると
京都こそがイヌ型社会の熟成に
ぴったりではないか?
と思ってしまうのですが

しかし 京都には 
開放的で革新的な面があるのです!

新しもの好きで 
市電やマネキンを生んだし
政治的にも革新の牙城だった

京都は商人の街なので
タテの関係が弱く

しかも 
反権力 反東京の気風が強い

京都大学の立て看板の写真

さらに 
個人主義が根付いている

他人に干渉されることを嫌い
他人の生活に深く立ち入らない
人間関係が濃密になるのを避ける

そのため
冷たい いけず 住みにくい
と言われたりもしますが

京都のしきたりについてまとめた図

個人主義と言っても
一神教の原理原則を重んじる
欧米型のそれとは異なり

他人に迷惑をかけなければ干渉しない という
庶民の処世術に近い
マイペース型の個人主義こそが
京都人の価値観でもあるのです

そしてこれは 
まさにネコの生き方そのものです

徹底的に自分視点にこだわり 
個人の自由を守る
人間関係で角を立てず 
自分のペースを守る処世術

いわば 庶民的な個人主義

一方で ネコ型社会においては
ひとりひとりの個性 役割 貢献を
はっきりさせることで
ゼロサム型の競争を避けることができます

具体的には
扱う商品 作る製品を分化して 
京都全体で棲み分ける

そのため
同業者がやっていない商品を開発する
イノベーションが生まれます

こうした”分化・棲み分け”が
京都の革新性につながっているそうです

棲み分けは専門分化であり
誇り高きオンリーワンになることだから
強者への依存 従属を
避けることにもなります

実際に 
京都の企業は特定企業の下請けにはならず
複数の会社と多元的な関係を持つことで
自立性を確保しているそうです

まさに 前々回に紹介した
野良猫の知恵を実践しているかのようです

京都の野良猫の写真

京都の野良ちゃん 
インスパイア してる?(笑)

ちなみに日本では
「なわばりを守る権利 拒否する権利」
についての認識が薄いそうです

なわばりを守り 嫌な時は断る

なわばりを守る猫の姿

自分の領域がしっかりしていて
それが侵される心配がなければ
安心して他人と関われるし 
困っている人を助けてあげられる

なわばりを認識して守るからこそ
侵される不安を解消できるし
外に対して前向きな行動が引き出せる

京都人は 
そうしたなわばり意識もしっかりしていると
最後に著者はまとめられていました

要するに
個がしっかりしていれば 
他人に寛容になれる
ということですね?

そうか 
京都はネコ型社会なのか?

思いもよらなかった指摘に
書き手は読みながらびっくりしました

舞妓さんになぜられる猫の姿

さすが京都は 
色々と奥が深いですね!

高橋医院