忖度
日本社会からは決してなくならない

むしろ日本では
忖度出来る人は気が利く人と評価され
美徳とすらされる

そもそも日本社会では 
察する 思いやる 無念無想 
が重視されてきました


無念無想 と書かれたカード

無念無想
日本人のコミュニュケーションの極点で 
まさに日本人の正徳的な感覚であり

*言わなくてもわかる 以心伝心

*言葉でいちいち伝えるのは 野暮

*言語の軽視 ロゴスの否定

*相互理解のためには 
 論理的な言葉は不必要で むしろ邪魔

といった考え方が 背後に存在します


しかし 
こうした“言葉の否定”こそが
空気の支配を許す大きな原因になります

言語でなく空気が 
コミュニケーションにおいて重視され

そうした 空気に支配される 空気を読むことが 
忖度につながる


書き手は
いちいち事細かに言葉で説明しなくとも通じ合える
そんな日本のハイコンテクスト文化は 
粋で誇れるものと思っていますが

日本のハイコンテクスト文化について説明した図

しかし

それが忖度社会を形成する
基になってしまうという
負の側面もあることは
考えたこともありませんでした

目から鱗でした!


で 忖度社会に対処するには

*忖度に縛られていることに気付くこと

*なぜ忖度するかを見極めること

*醒めた目で自分自身を見つめること

が大切だと 筆者は語られます


何を失うことを恐れているか?
どんな見返りを期待しているか?
誰に認められたいのか?

忖度することが 
自分が生きていくうえで必要不可欠か自問する

忖度すれば報われるというのは 
甘い幻想だと気付く

甘い幻想だと気付く人の姿

うーん 厳しい指摘ですね!(苦笑)


さらに

言わなくてもわかる 
という思い込みを捨てることも大切

言葉の否定が 
空気による支配を蔓延させ 
忖度を生じさせるので

出来るだけ 
言葉にして明確に伝えるようにする


うーん 日本が誇る 
ハイコンテクスト文化の否定につながるなあ(苦笑)


一方で筆者は こんな指摘もされます

空気が読めない人は 
空気に支配されずにすむ

空気が読めない人は 空気に支配されずにすむことを強調するイラスト

KYも悪くないということ?(笑)

空気をある程度読むことは 
組織のなかで生き延びるために必要だが

空気をなんとなくおかしいと感じるセンサーを
低下させないようにすることが大事で

何となくおかしい と感じたら
敢えて忖度しない勇気を持つ 
ときには水を差す勇気を持つ

醒めた目で空気を読みながら 
それに流されないこと

自分が本当に何をやりたいのか? 
何を求めているか 
を突きつめること

自分自身の欲望と真摯に向き合うこと

自分自身の欲望と真摯に向き合う人の姿

ここまで読んできて 
書き手は強く感じるのですが

主体性 個 といったものさえ
しっかりしていれば

ハイコンテクスト文化の良さは 
存分に発揮できると思うのですよ

そこがポイントのような気がします





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