ダヴィンチとミケランジェロの企画展で 
いちばん面白かったのが
絵画と彫刻の比較論です

確かに
ダヴィンチは絵画に
ミケランジェロは彫刻に
それぞれ秀でていましたが

対照的な二人が
絵画と彫刻の関係を
どのようにとらえていたか?

ちなみに 書き手は彫刻が大好きです

なにせ マイ神様の1番手に上がってくるのは
この圧倒的な作品を作られた 
ベルニーニさまですから

ベルニーニの彫刻

で 書き手の好みは
どうでもいいのですが(苦笑)

ダヴィンチは 
こんなことを語っていたそうです

絵画の驚くべき効果は
二次元の平面に
三次元の立体を表出させることで
自然に則り 
見える通りに陰影や遠近をつけて描くことである

一方 彫刻は
陰影や遠近をつける必要がなく 
自然に助けられている

ダヴィンチの肖像

こんな風に 
絵画の彫刻に対する優位性を言及したのちに

さらに

画家は 
精神的な労苦を被りつつ
絵筆を執り優雅な仕事をするが

彫刻家の仕事は 
肉体的労苦のみで 
石材の粉まみれになる劣ったものである

とまで 言い放っていたそうです

えーっ そこまで言う? 
という感じですが(笑)

ダヴィンチは
絵画や彫刻が 
音楽や詩よりも劣るものと見做されていた
当時の社会風潮に異を唱え

視覚を聴覚より上位の感覚と捉え

その視覚に
持続的に訴えかける芸術である絵画は
聴覚から瞬時に消えてしまう
音や言葉に頼る芸術より上位に来ると考え

さらに 
リベラルアーツの必須項目であった
数学や天文学の知識を
絵画の執筆に際して
応用して取り入れて融合させることで
絵画をより地位の高い芸術に
高めようと試みたそうです

いかにも ダヴィンチらしい(笑)

ダヴィンチの精密画

それに対して 
彫刻の人であるミケランジェロは

絵画に浮彫の効果が近づけば
立派になるが 
逆は真ならず

と 絵画に対する彫刻の優位性を
唱えはしたものの

制作に肉体的な労苦を
ともなうことを除いては 
絵画も彫刻も同じである

と述べ
彫刻の優位性を
必要以上に主張することはなかったそうです

また 彫刻の出発点は素描である とも述べ

絵画と彫刻 
いずれの基礎ともなる素描の重要性を指摘し
同じ土俵にあるものとして 
絵画と彫刻の差異をことさらに強調しなかった

大人ですね!(笑)

でも ミケランジェロは

彫刻とは 
削りとっていく芸術である

と 絵画にはない彫刻の特徴を 
シンプルな言葉で強調もしています

彫刻とは削りとっていく芸術である というミケランジェロの言葉が書かれたスライド

そう まさに彫刻という芸術のポイントは 
そこだと思うのですよ

ベルニーニは
岩山から切り出された
大理石の巨大な塊を前にして

神の導くままに 
この塊から神の像を掘り出していく 
と語ったとか

山から大理石が切り出される様子

ダヴィンチが
肉体的労苦のみで
石材の粉まみれになる劣ったもの 
と揶揄した作業こそが
彫刻という芸術の
真髄ではないでしょうか?

そして それが出来るのは

キャンバス上で 
二次元の平面に三次元の立体を
表出させる才能とは異なる
石塊から作品を削りとって生み出していく才能を
天から授けられた彫刻家

だと思います

ミケランジェロは 
こんな印象的な言葉も残しています

私には 
大理石の塊の中に天使の姿が見える

私がすることは 
彼がそこから解き放たれるまで 
石を削っていくことだ

私には 大理石の塊の中に天使の姿が見える というミケランジェロの言葉が書かれたカード

彼にとって 
彫刻家の仕事とは
あらゆる石塊の内に潜む像を 
開放することだったのですね

彫刻家の仕事とは あらゆる石塊の内に潜む像を 開放すること というミケランジェロの言葉が書かれたカード

さて

絵画の優位性を声高に主張した
ダヴィンチに対し

敢えて彫刻の優位性を
大っぴらに主張することはなかった
ミケランジェロですが

騎馬像の素描をもとに
ブロンズ像を作ろうとして
結局できなかったダヴィンチのことを
仲間内であからさまに
揶揄することもあったそうで

ダヴィンチとミケランジェロの関係 

奥が深そうで
いったいどんなだったのか 
ちょっと下衆心がくすぐられます(苦笑)

ちなみに ふたりの財産記録をみてみると
ミケランジェロの方が 
ダヴィンチより
はるかに多くの蓄財があったようで

うーん 金持ち喧嘩せず ということ?(笑)

ミケランジェロが彫刻したダヴィデ像

つまらないオチになってしまい
ダヴィンチの科学者や芸術家としての
純粋さを愛するファンの皆さん
申し訳ありません(笑)
高橋医院