ヒトラーはなぜネコが嫌いだったのか 
という新書の話題の続きですが

筆者は 
ヒトラーのイヌ好きについて分析したあと

日本の歴史で
*ネコがもてはやされた時代
*イヌがもてはやされた時代

を区分けして

それぞれの時代のどのような時代背景が
イヌまたはネコを 
理想のペットとして見做すに至らしめたか

を分析します

これが とても面白かった!

まず ネコがもてはやされるネコ性社会とは

庶民の多くがネコを愛するだけでなく
その背後に 
自由や放任の姿を見ている社会である

と定義します

自由!と叫びながら草原を走るネコ

そして日本の歴史において 
ネコ性社会であったのは
江戸時代から明治の戦前にかけてで

その後

第二次大戦中はイヌ性社会になり
それは 
バブルがはじけた1995年まで続いて

それから再度 
ネコ性社会になっていると分析します

江戸時代がネコ性社会だったのは
当時の庶民が
合理性を尊ぶ精神構造を有していて

その合理性が
米や蚕をネズミの害から守る益獣として 
ネコを重宝させるに至ったと

ネズミを追うネコ

また 江戸人は 
国芳が描いたように
ネコの背後に 自由 放任 個人主義 を
垣間見ていたのだろうと

国芳が描いたネコたち

そういう意味では 
ネコ性社会を作り上げた
江戸人の合理性に基づいたネコ好き精神構造
西欧における啓蒙主義に
決して劣るものではない

と 筆者は論じます

また この合理主義

それまでの日本社会の基盤を成していた
八百万の神を信仰する価値観からの脱却を促し

それにより人々の精神は自由を得た

とも推論します

さらに面白いのは

合理主義的発想をベースとした
資本主義の萌芽と発展

ヨーロッパにおいては 
プロテスタンティズムという
宗教的倫理を土台にしていたのに対し

プロテスタンティズムという宗教的倫理という本の表紙

日本では 上述したように
むしろ因習や信仰からの脱却が
土台としてなされた

という指摘で

だから 
ヨーロッパでは寄付行為が盛んだけれど
日本ではそれが根付いていない

というオチまでつけて論じるのです

資本主義社会の発達の背後に

欧米では 宗教的倫理感があるから
信仰にともなう
義務的なドネーション感覚があるけれど

日本では 
そんな堅苦しい(?)ものはなく
あるのはネコを愛する合理主義なので
寄付行為をするかしないかは 
あくまで個人の自由 ということ?

面白いですね!(笑)

確かに最近 
江戸文化や江戸人の考え方が
再評価されているようですが

まさか 
江戸時代のネコ性社会の背後にあるのが
合理精神に基づく近代資本主義の萌芽だなんて

思いもよりませんでした

江戸時代のネコ性社会 
奥が深いです!(笑)

国芳が描いた擬人化したネコたち

江戸文化と合理主義の関連なんて
考えたこともなかったので 
面白いけれど

でも 江戸人はそうした合理主義を 
どのようにして得るに至ったのでしょう?

そのあたりが 気になります、、、

こうして江戸時代を席巻したネコ性社会は
明治になっても続きますが

昭和に入り 
戦争の足音が聞こえてくるようになるとともに
終焉を迎え

日本の社会はイヌ性社会に変貌していきます

ちょっとオタクな話の展開になってきたので(苦笑)
続きにします
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